さぁさぁとした葉と葉が、或いは枝に僅かばかりに接触した葉と枝の摩擦音ともいうべき音が些細にも辺りに響いていた。
響くとは言っても、大凡通常の人であるのならばほんの僅かに鼓膜を撫でられるようにも微小な音でしかないだろう。けれども、日中には自身の居場所は無いからとかくれんぼうをするような金色の月、それをまんまるの眼球パーツに収めたようなオルトの、彼の集音機関はどのような些細な音もひとつひとつ指先で摘み上げることもできるといったように集めて、集めて、彼の心臓部をとくりとくりと打たせた。
だから、初夏を迎えた風が悪戯にも駆けていく撫ぜりは木々のざわめきの合間にオルトの脈動に絡むようにも戯れ、やはり何処か辿り着くべきところが在るとも言うように後にする。それは季節だろうか、オルトをだろうか、ただ、陽だまりにもしらしらと燃える蒼いやわい炎の輪郭をくすぐり、はしっていくことだけは確かだった。
「何処へ行っちゃったんだろう」
範囲指定の個体反応をサーチすれば分かることだろうけれどと、胸元にゆるく握った拳を寄せながらオルトは呟いた。ぱちりと跳ねた蒼い火の粉がその呟きに追い縋るようにも手の甲のパーツを掠め、なんの跡形もつくらずに消えていく。
ほんのちょっと前に彼の眼球部に映しだされていた毛のまんまり──ルチウスは、午睡をたゆたうに丁度良いところを求めて何処へやら、子分にしてやってもいいかなと思いながらもオルトのことをぽつねんと置いて行ってしまったようだ。
「うーん……この先にはお昼寝にはちょうどいい木陰があるけれど、そこに向かった確率は低いかなぁ」
こてんと小首を傾げたオルトに、自身まで置いていかれてなるものかと火の粉は揺らいで追った。彼の呟きは、誰に聞かれるまでもなく穏やかな風に流されていくようだ。
少々きゅるりきゅるりと鳴り響くは、オルトから。珍しい小鳥の鳴き声かもしれないその音は彼が思考回路、シグナルを行き交わせる音。開け放ったままの眼差しの中では、時折に碧色に光ってみせる小さな粒が奔っていた。それはいっそ、流れ星にも思えるものであったけれど、此の瞬間にオルトの眼差しを覗き込む誰かもいないために星は流れて、ただ流れてまた生まれいずるようなものだった。
「でも、零じゃないんだよね。──『天候、気温、風向き、季節の花の開花具合を数式に組み込みます。処理中、三、二、一、アンサー』──うん、やっぱり零じゃないね!」
まるで流れ星を手のひらにもらい受けたともいうように表情を明るませて言ったオルトは、そこに遅れた春風をつくりだすようにも宙を泳いでいくようであった。彼の生みだした対流が、いずれは花を落としてしまったがわしわしとさざめく葉桜へと辿りつくようであった。
「え?!」
茂みと茂みの合間からぽんっともいうように顔を飛びだたせたオルトの上げた驚きの声だ。彼の網膜部でくるりと回った衛星は、思考回路をちょこっとでも滞らせる、いわば蜻の前でくるくるとやった指先だ。
星と星は衝突して互いに消滅するかもしれないが、オルトの睫毛と睫毛は触れ合い重なり離ればなれになったとしても消滅の道を辿ることがない。火打石同士のぶつかりみたいな、火の粉にも似た驚きはやはり、こぼれるのであったけれど。
「に、兄さん……兄さんがいる!」
オルトの言葉通りに、大樹の根本、その木陰にいるのは彼の兄、イデア・シュラウドで間違いが無い。そうして、オルトは驚きに思わず言葉を発しながらも、響いてはいけないというようにもお口をかくれんぼう、此処には誰もいないよと忍んでみせた。
イデアは、兄は、弟に良く似た──いいやオルトのそれがイデアに、兄に良く似たものではあることだけれど兎も角、──しらしらと燃ゆる蒼い炎を草っ原にも蔓延らせるようにも大胆に広げて、それでいてその四肢は母の胎の中でねむる胎児でもあるようにも縮こませていた。オルトの角度から眼差しにはできぬその睫毛は、伏せり日陰の中でも重ねるようにして影を濃ゆませているはずだ。
触れずとも、ある程度の距離があるともオルトには解る。穏やかに打つ心音、委ねられた体温、初夏の木漏れ日の成すものではない時折の指先や末端の反射運動。
「兄さん……、こんなところでお昼寝してる」
ふわりと、或いはもう行き去った春の風に孕まれたようにもぷわりとも浮かび上がったオルトの心持ちというと、言葉にするならなんとするものだろうか。
ゆらりゆらゆらとも宙を泳いで進むオルト、もし彼の足の先々が魚の尾ひれもに似ていたら水流に泳ぐさまが描かれていたようにも、彼は眠るイデアの元へと行くようであった。ぴちゃんとも跳ねない、その水面は。何故なら、目元に上等な隈を拵えた兄がそのようにも穏やかに眠っているのだ、なんにひとつもあってはいけない。今が、学生としては勉学に励むべき時間であったとしても。
「だから、夜更かしはダメだって言ったのに。顔色だって平均値より悪いしほら、僕が脈拍を直接触れて測っても起きない」
葉と葉の合間を潜り抜けてきた日差しに照らされようといっそ青白い肌、その手首の血管に指の腹にあたる部位を寄り添わせながら、オルトは仄かに怒ったようにも呟いた。ふぅと、排熱処理に伴わせた気体を吹きだしながら。
ゆるりゆるりとも、オルトの生みだした気体は降りていくだろうか、兄のもとへ。
イデアの手首のあたりに初夏は集う、日差しも、気温を伴ったオルトの排出した気体も、木漏れ日ゆらめく水面のようなオルトの眼差しも。
微かだけれど直射日光を浴びたままの休止状態、もちろん好ましいものではないけれど。少しだけ迷うように、揺らぎはしなかったオルトの延長線上で彼の代弁をするようにも火の粉がぱちりと弾けて、宙に消えてった。
火の粉は降りていかなったけれど、それを追うようにオルトは草っ原に両膝を突いた。青草の露が彼の白っぽいボディに滲もうとも、身を預けるようであった。
「嗚呼でも、うん、バイタルが安定するような数値に似てる。だから、──『アラームを設置します、対象:イデア・シュラウドが起床時にスリープモードを解除します』おやすみなさい、兄さん」
茹だるような暑さはまだない、穏やかな温度を孕んだ風が蒼く燃ゆる炎をゆるやかに撫でていく。初夏の眼差しが眩いともいうように弾けて、寄り添い境界線をなくした兄弟の炎は時折に宝石のようにも煌くのであった。