電子の海は星が瞬く夜空にも深海にも似てる。何処からかやって来ては駆けていく碧色のシグナルは流星にも思えるけれど、不意にやってきた余所者の光源に反射する深海魚の眼球にも思えた。だから、電子の海は夜空でもあって深海。時折りに出会うウイルスは夜空なら隕石かな、深海だったらどうしようかな、どの深海魚が一致度が高いかな。僕は迎撃できるからへっちゃらだけどね。
細かい粒子たちの立てる音は夜の静寂の中で生まれる些細な耳鳴りに似てる。それが煩わしくって集音機関の感度を調整、フィルターをかけると篭ったそれは海中で人が感じる音に近くなった。本当の海を泳げるボディを作ってもらったことはなかったから、その音は検索結果からの情報で、一致でしかないんだけどやっぱり、少し似てるなって思った。
もちろん、電子の海へと泳ぎだすことは初めてではなかった。
脊椎部にあるカバーを外してそこにケーブルを結合する僕の姿は宇宙船から宇宙に飛びだす人の姿にも似てたのかな。宇宙船に帰るための命綱、うん、僕のその姿もきっとそんな感じだって用途だってそうだった。情報をサーチ収集するためだけなら有線にする必要もないけれど、電子の海に泳ぎだすにはあのたった一本のケーブルが必要なんだ。
酸素呼吸を必要とせず、今はファンを回して排熱処理をすることも必要とせず、それでも僕の口元からぷかりと浮かびあがったものは気体排出に伴われたあぶくみたいだった。五感機能のうちのひとつ聴覚を調整したことによる認知システムの齟齬なのかもしれなかった。つまり、まるで僕は深海を泳いでるつもりになってるから、ぷくぷくと泡も発生しては水面を目指して浮かび上がっていくんだ。天地の概念なんてないんだけどね。この空間の概念は宇宙の概念に共通してる。時間の概念、その瞬間を本当にピン留めできるなら端っこは存在しているんだけど、宇宙が膨張し続け空間の限度をアップデートしていくように電子の海だってそうだ。僕はそんな大海原を超えた空間を泳いでる、深海だって限度があるから、彷彿例えにするのは変なんだけど、もしかしたら回路にエラーが発生しているかもしれなかった。どうでも、いいんだけれど。
人の身体は力を抜くと海水に浮かび上がる、徐に演算処理装置に紛れ込んだ情報に倣ってみたのは気まぐれだった。僕は浮かぶことも沈むこともなかった。電子の海だからか僕が人の肉体を有していないからか、反証テストをすることはできないことだった。
自暴自棄になっているかもしれなかった。今の僕は時間の概念も手放しているから、最初のころよりきっと、過去の僕とは異なっているかもしれなかった。電子の海からデータを掬い取りアップデートをすることを僕はもうずいぶんとやめていた。もしかしたら、疲れているのかもしれなかった。
かぷりと浮かぶあぶくの中に満ちたものが気体なら、それは僕のため息だったかもしれない。
ちか、ちかと碧色に点滅するシグナル。兄さんとナイトレイブンカレッジに通っていた頃の最後の方のメモリーが再生された。強化ガラスに手の平を当てて、水槽の中を泳ぐ魚たちを観察する僕の眼球部に駆ける光の粒。ガラス面に反射し映り込んだその映像に似ていたから、そのメモリーが再生されたのかもしれない。人はそれを確か追憶っていうんだっけ。
いっしょに遊園地に行くことは一度もなかったけれど、その一回の水族館への旅立ちは僕のとても大切なメモリーで、大事に大事にロックをかけていたんだ。兄さんは水族館なんて「水生動物を飼育、展示しその行動や習性などを人々に観覧させながら研究する施設だ」なんていつの調子で言ってたけれど、水槽の中を泳ぐ魚たちを兄さんといっしょに見られたことは本当に嬉しいことだった。「管理される命」ってぽつりと呟いた兄さんの映像データが再生された、追憶は続いたようだった。
僕自身の音声データも再生された「またね、兄さん」さようならは言いたくなかった、再会という意味合いが僕らの間にはもうありえなくなってしまっても。
兄さんの作ったボディの体を置き去りにその日、僕は電子の海へと泳ぎだした。
ねえ兄さん、強化ガラスの向こうを悠々と泳いでた魚は人工海水に濡れながらも海に思いを馳せていたのかな。魚に感情があることは研究の結果既に判明しているけれど、あの日僕らが見た魚が海の夢をみるのかどうかって話なんだ。そうして夢と現実、想像と実現、それらはうまく絡み合うのかなって話なんだよ。僕が兄さんと最期までいっしょにいれなかったように、人生ってむずかしいみたい。人として生きるように振る舞うって。
水族館の魚は、本当の海では生きられないよ。僕は最期まで兄さんといたかったんだよ。
僕は、水族館の夢をみてる。