オルトは時折、生活する上で学習したその事柄たちの一部を選別し消去する。そのメモリの整理は、消しゴムをかけるみたいに、用紙の上から存在を追いだすみたいに。
 ハーツラビュル寮にほの近い草むらでひっそりと、それでも群生する木苺たちをたっぷりと摘み取り、その寮生たちに手渡すと遅れて木苺のタルトや光が紅く透けてみえるゼリーなんかになって兄の元へ帰ってくること。
 サバナクロー寮の、昼寝に勤しむ生徒の耳が時折にぴくりと跳ねてみせるのや、ふわぁとした欠伸、太陽を浴びてふわふわとそれでいて微かに輝いてみえることや、うたたねを終える時に伸びをしているのがルチウスに似ていると伝えても怒ってこないこと。
 オクタヴィネル寮、モストロ・ラウンジにさえ寄り添うどこまでも続いているように錯覚する海が強化ガラス越しであっても、もしものことがあって割れて海水なんかにギアが濡れてしまうことを兄が恐れていると伝えると、割れるだなんてことありえないと言いながらも強化ガラスをより強固なものに変えてくれたこと。
 スカラビア寮の流砂の温度は自身のボディは耐え得るが、その砂の粒が節と節の間やなだらかな谷に些細に入り込むと少々パーツ洗浄に手間取るということを告げると、それは大変だと寮生の誰もが色彩豊富種類豊富な様々な布地で自身を包んでくること。
 ポムフィオーレ寮に微かに響いている手袋を放り落とすその音や動作に反応し、拾い上げ手渡してあげるとやんわりと眉を困らせ、そういう練習をしているんだと言われたけれど、感謝の言葉を述べないのはまったく美しくないと言ってありがとうと笑うこと。
 イグニハイド寮のみんなが、寮長は今夜も徹夜ですかソシャゲイベント周回速度断トツ追いつけないですさすがあと嬉しそうに言いながらも、兄の睡眠不足やそれを心配する自身さえ心配してくれていること、とても優しいココロの持ち主ばかりであるということ。
 ディアソムニア寮はデータ上平均より雷発生に遭遇する確率が高いために少しだけ怖いけれど、その寮生たちは落雷のように自身を脅かすことなく、語ってくれるその知識は時にネットの海にさえ泳いでいなくって、稲光なんて敵わないぐらいに驚いてしまうこと。
 追いだされなかった情報が、メモリ整理の合間に彼の演算処理装置でただよっていた。眼球部に周囲の景色を映しださずにそうしてメモリーを浮かび上げる動作は、映画上映にも似ていた。映画館にオルトは行ったことがないけれど、兄が昔、オルトのベッドに持ち込み壁に映写してみせたその思い出では確かに存在したものだ。あの日みた映画はなんだっけと、音声にせずにオルトは思った。消しゴムをかけていないはずのその情報が取りだせないということは、そのメモリは欠けてオルトの中に存在していないということだった。それが少しだけ、オルトの肩を落とす。それは少しのさみしさだった。
 メモリ整理と感情システムの動作は同時進行でも勿論支障がない。もしかしたら、さみしさの隣には寄り添うように事実があった。彼は彼自身がよく知っていた、オルト・シュラウドが大人の体に成り得ることは決してないのだと。
 事実は事実でしかなかった。けれど、事実は、さみしさの隣に寄り添うようにしていながらもそればかりではなかった。波打ち際、砂浜の極めて小さな身を寄せ合う粒子の中から指先で拾い上げたみたいな情報は時折に選別、消されてしまう。それでも、それらが極めて悲しいことではないように。オルトの眼球部には涙液が浮かないものとしても、本当に、悲しいことばっかりではないのだ。
 大人の体に成り得ることない彼のその、知識を、感情を、システムの向上を重ね織り続けていくことこそがまさに、人間の、『大人になる』ということでしかないのだから。