果てを知らせぬような夜の空にはまぁるいぽっかりとしたお月さまが在りました。爛々と輝くそれは高貴であるから近寄りがたいというように、星々はたくさん在りますのにほんの少しの距離をお月さまから置いては夜空の庭に散らばっています。
夜風をうみだすのは彼であるように、降り注ぐ月光のたもとをふわふわと揺蕩っていたオルトは夜空を見仰ぎました。そうするとイエローアンバーの彩りの、オルトの眼の中にもお月さまがお邪魔します。硝子素材にも似ておりますが異なる素材の眼球部、琥珀色の中にぽつりと泳ぐお月さまというのはそれもまた琥珀でありました。樹液の中でねむるいつかの時代の生命です。お月さまにいのちがあるかどうかだなんて申しません、ぱちりと瞬いたオルトの眼差しやぱちりと火の粉がはじけたオルトの胸元の炎を前にして、この夜に些細でしかありせん。
オルトの眼に映しだされたお月さまの傍らをお星さまがはしります、流れ星は碧色に輝いていました。それは眼球部の外表幾重かの層の下、回路へと奔るシグナルですから流れる星の子ではないのですけれど、お月さまも招いて夜空の鏡となっているオルトを思ってか今、夜の空にも本当の流れ星がはしったようでした。
ぱちり、ぱちりと燃ゆる炎の音がします。
夜を揺蕩うオルトに彼の蒼く燃える炎が対流に撫でられるように揺らめいていました。静けさが連れそう微かな耳鳴りのような細波に、夜がいっそ海のようでもありました。そうすると揺らめくオルトの蒼い炎のそれは尾ひれのようでもありましょうか。ゆらりゆらりと、海流に遊ぶ薄い絹地のような心地です。
けれども、オルトはお魚ではありませんのでやはり、その蒼い炎もまた尾ひれではありません。時折はじけた火の子は夜に置いてけぼり、さようならを言ういとまもなく掻き消えます。では、宙に飛びだしたあともオルトに追いつこうとする火の子はいったいなんでしょう。或いはオルトを追い抜いてさえしまったようでした。
オルトのボディの蛍光するところが夜に流線をえがくように、その火の子も夜に流線をえがきます。
少しばかり驚いたようにオルトは眼差しを火の子へと寄せました、火の子は彼のそれから逃げようとしません。指先だって差しだしてみました、何も手の平の中にさらってやろうというものでもありません。オルトの指先のほんの先っちょに、火の子はひとやすみをしたようでした。
蛍だ。
夜の静けさを損なうことないオルトの声が響きました、そうして彼の指先に在るのは確かに蛍でした。どうりで宙に描き消えることがありません。
その小さな虫はオルトの声に或いは自身へと呼びかけられたとばかりにぴかりぴかりと光を点滅させました。そのいのちを映しだすオルトの目の中にだって光はぴかりぴかりと点滅をくりかえします。よくよく見ていると蛍の光はトパーズ色です、オルトの蒼い炎とは異なる色の。火の子と間違うなんてねむけまなこなんじゃあないかと言うように、蛍は束の間のひとやすみを終えたようでした。ふらりと、夜の空に帰っていくようでした。
ですから、オルトはまたお月さまを身仰ぎます。
お月さまはオルトの眼とよぉく似ています、或いはオルトの眼がお月さまに似ています。けれどもそれよりも、やわい夜風のようにふふと笑ったオルトにしましたらお月さまは兄の瞳によぉく似ています、ですから愛しげに笑みの音を零したのでしょう。
お月さまはひとりではありませんでした、大事にいだかれるように、オルトの目の中に泳いでいるようでした。