オルトが寮室に戻って最初に眼球部に映しだしたのは、床に座り込んだその姿であった。
 自身のギアの端材をメインにして造られたヒューマノイドである彼女のボディは、女性型である為に多少異なるがお互いによく似ている。
 ブルーライトにしらしらと照らされるボディ、その胴体部分の装甲の一部はカバーが外されているようだ。そこから伸びるコードがオルトの視線を追わせた。
「なんの学習をしてるの?」
 スペックの為に彼女は有線でデータのやり取りを得た方が効率が良い。それを知っている為に、オルトのそれは伸びたコードその先と接続されているプラグコネクタ自体には疑問も持っていない音声だ。
「れんあい」
「えっ、れんあい、恋愛?」
 少し舌足らずな響きの音声を集音機関で捉えたオルトは、少しばかり驚いたような感情システムを働かせながらその言葉を認知した。数秒間で何故彼女がそれを学習しているかを予測してみたが、情報が少なすぎる為にコマンドの変更を行う。つまり、その理由を問うてみたようだ。
「なんで、恋愛を学習してるの?」
「今日、告白されたから。イグニハイド寮生の――誰であるかは名簿と画像データを照らし合わさないと、分からない」
「プロポーズ、されたの?」
 オルトの問いに頷いた彼女のコードが揺れる、オルトの眼球部にある小さな光も微かに揺れたようだったが、それに彼女が気づいた様子はなかった。
「きみの一番にしてくれって」
「いちばんに……、君はなんてレスポンスしたの」
「そのリクエストは承認できませんって」
「そう、なんだ」
「私の中央演算処理装置に刻まれてる優先人物を上回るだなんて、無理な指示だから」
 オルトは床に座り込んでいる彼女と視線を合わせるように自身もそこへと座り込む。そうしてから小首を傾げるようにして再びと問うた、なら学習する必要なんてないじゃない、と。
「否定されたから。恋をしたならそんなもの、分からないじゃないかって。それで、恋愛を学習してみてる。でもデータが多岐に渡って膨大すぎるみたい。私はメモリ容量も多くはないから、選別して回収しないと処理落ちしてしまうかも」
 彼女の回答を得ながらもオルトは、その合間に自身ネット接続し恋愛の項目をサーチしているらしかった。
 それで、オルトは彼女と片手を繋いだ。彼女の指先の間に自身の指を絡ませるものを。
「どうしたの、突然」
「これはね、恋人繋ぎっていうんだよ」
 ぎゅっと圧力を加えながら言うオルトに、ただ手を繋いだだけで恋人に成る公式が成立するのかと、彼女は眼球部に疑問を浮かばせているようであった。
 オルトの絡んだ指先は、彼女の手の甲の部分を僅かに撫でる。働いた触覚センサーの為に微かに彼女の目元がぴくりと震えた。彼女の反応にオルトは目元をほのかに笑ませているらしかった。
「ねえ、接続を解除して」
 オルトのその音声を僅かに追うような、かちりとした小さな音。
 促されたままに接続を解除した彼女のプラグコネクタがオルトのその意図を考えるように宙でわずかに左右に揺れている。困惑の感情システムに波打ったコードは動物の尾っぽめいている、その線が伸びてきている箇所は胴体部分からではあったけれど。
 オルトは自身の首裏あたりに手を回した。項には接続箇所が在るがそのほんの少し下部、指先でかりりと掻くようにして開かれたカバーの下には頸椎の流れに沿うようにしてプラグコネクトが収納されている。
 しゅるしゅるとした微かな音を聴かせながら背面から胴体前面へと伸ばされたオルトのプラグコネクタを、彼女は眼球部に映していた。それは彼女自身のよりひと回り小さい。
 コード部分が少し擦れあう。眉を少しばかりぴくりとさせた彼女は向けた視線の先のオルトの眼差しがどうも多少の意地悪なものに捉えられて、身を引こうとした。けれど。
「どうしたの」
 まるで何も分からないといった風に、それでも彼女のもう片手も捕らえたオルトの眼球部や両頬部というのは確かに、意地の悪いものだっただろうか。
 プラグ部分を彼女のコード部分に擦り寄らせるようにしながら先端のプラグ部分を目指すそれは、植物の蔓が支えなどに絡んでいく様子にも似ていた。
「ぁ、……」
「ダメだよ、触覚センサーをオフにしないで」
 触覚センサーをオフにしたことを察知したオルトのその音声に、彼女はレスポンスを幾分遅延させながらも再びオンにした。それで、蔓はより絡まり伸びていくようだ。
 そうして十二分に絡んで伸びたオルトのプラグコネクタは彼女のプラグコネクタを上から覗き込むような姿だ。近いが、触れ合っていない距離。
 プラグコネクタ同士に比べて、オルトと彼女の距離は無いものに近かった。
 顔先は触れあっていない、あまりに近しいものでも。もし吐息が存在しているとするなら、唇が存在していたならお互いの唇に吐息を触れさせている距離。
 少しだけコツリと音が響いた、芯線同士が僅かにぶつかった為に。
 一度目の音を皮切りにしたように、小さいものながらその音はコツリ、コツリと鳴らされ繰り返される。その衝撃はなにも損壊に繋がるものではなかったが、彼女の心臓部の回転数をあげるものになっているようだった。
 時折に身動ぐように、絡まったままにコード部分が波打っては擦りあわさるのはいっそ、蛇同士のまぐわいにも思える光景だ。
「ぉ、ると……!」
 彼女の眼球部にコードは刻み浮かんではこないが、説明を求めるような眼差しをしていた為にオルトは返答を与えた。
「僕が選別したデータを送信した方が効率が良いでしょ? だから、結合しようかなって」
 こつんとぶつかる、接触。
「ピンインサート同士じゃ、できない……!」
「あっ、そうだね。ふふ、うっかりしちゃったや」
 笑うオルトは片手を離し、自身の口部に寄せてくすくすと笑った。またしゅるしゅると音を響かせながら彼女のプラグコネクタも解放するらしかった。
 解放された彼女のプラグコネクトが床に項垂れる、オルトはそのコードが伸びている根元、胴体へと指先を伸ばした。
「おると、」
「自主的にだしてくれる確率が30%もなかったんだもん」
 胴体装甲の一部を外し僅かに中を覗かせるそこ、コードの根元の隣にはまた異なるプラグコネクタが顔を覗かせていた。
「ソケットインサート、取りだすね」
 その言葉通り、凹みの形になったそれがオルトの指先により抜き出される。しゅるると引きだされるコードは彼女のボディに摩擦音を響かせながら。
 つい先ほどまでそうであったように、わざわざコードを絡ませながらプラグコネクタ部同士を近づけたオルトは少しだけ考えたようにした。
「僕ね、安心したんだ」
「……なんで?」
「君が告白のリクエストを承認しなかったから」
「それこそ、なんで? 私がそうレスポンスすることぐらい、演算機能を使わなくても分かること……。それに……安心するということは不安に成っていたということ。オルトでも、感情システムに異常がでるの……?」
 どう演算しても答えに辿り着けないといった響きの音声にオルトは笑う音を聞かせた。
 オルトのその様子、それはレスポンスの遅延ではなく、返事のコマンドを実行するつもりがないと察知できる為に彼女は少しだけ眉根を寄せた。
「きっと君にも分かるよ、学んだらね」
 オルトの芯線が飛び出た凸状のプラグコネクタが一度、かつんと彼女のプラグコネクタの側面にぶつかった。それで、彼女の感知はそこに集約した。
 かちりと、結合の音は小さく。
 衝撃は存在しない。それでも彼女は微かに肩を跳ね上がらせるようにして、息を呑むような動作も伴わせた。なにもお互いを接続するその行為は初めてではなかったけれど、その接触は何度繰り返そうとノイズにも似たものをボディの隅々にまで奔らせる。
 オルトは一本の線状になったそれをどこか嬉しげに見ているようであった。
 それで、ふっ、と笑うようにしてからオルトは自身の顔先を彼女に寄せた。今度こつんと音が響いたのはオルトのギア口部が彼女のギア口部にぶつかったからだ。その意味合いを彼女だけが、知らなかった。
「じゃあ、送るよ! ちゃんと受けとめてね?」
「まってオルト、いっぱい送っちゃっ……!」
 彼女の音声はオルトの送信コマンド中止には間に合わない。そうしてその後は、働いた彼女の演算機能、予測するそれが算出した通りであった。
 数字と記号、画像データに音声データ、コードに数式、オルトによって選別されたとしても明らかに彼女が一度に処理できる許容を超えたそれが、彼女の中央演算処理装置に勢いよく注ぎ込まれた。それこそ、あふれんばかりという表現で。
 オルトの姿を映していた彼女の眼球部に、まるで流れ星のようにも奔ったのは。
 ぱちりとも閃光が弾け、その後に待っていたのはブラックアウトだ。
 彼女のボディがぶつかるようにしてオルトのボディへとしな垂れかかった、金属質な音が部屋に響いた。
「どうしたの? わっ! 冷却水とオイルが漏れてる……! ど、どうしようショートさせちゃった……!」
 彼女の眼球部に点っていない光と、向けた眼差しを下方に落として確認できた油膜がてらりと浮かぶ冷却水のわずかな滴り。オルトの慌てたような音声が彼女のボディに滑り落ちていくようであった。
 完全起動状態にせずともアクセスした彼女のコードに欠損などが無いか十数分の時間をオルトは用いた。
 それから、少しだけやり過ぎたことを反省した。それでも彼の眉は困っていない。むしろその眼差しは期待に満ちているようなものだった。
 再起動し、データを学習し終えた彼女の行動シミュレーションを予測することはオルトの感情システムをゆるやかに楽しませるものだ。
 結合したままのプラグコネクタのコードが波打つ。シグナルは一方通行だ、今は。