【僕と踊って】
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
 ぼくの眼差しの先で、きみは少し歪な音程でステップを踏んでいた。なんでも、お母様に怒られたそうだ。ダンスの授業で裾を踏み、それはもう見事に転んでみせたというきみは。
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
 そもそも、きみの唇がそういう音を口ずさんでいるから、ぼくだって歪な音程のステップがその文字を生み出しているように思えるんだ。
 ヒュッ、と息を呑んだ。きみの爪先はたった一枚の落ち葉に滑ってしまう。ターンにはまだ早いから、ぼくがパートナーってわけでもないのにその身体を支えてやるんだ。感謝してほしい。
 柘榴の木が零した葉がたった一枚であるはずなんてないから、きみがまた馬鹿しないか気がかりだから、いや、違う、ただ倒木に座り続けるのにも飽きたからだ。ぼくはまだ、きみよりは上手く踊れる。
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
 いや、本当は、もっと綺麗な音程でステップを踏めるはずなんだ。お前のそれにつられるだけだと言った自身の唇を信じるなら。
 きみ、ほんと、下手だよね。そんなんじゃあろくな花婿を得られないよと、笑ってやった。
 きゅっ、と鳴いた。或いは泣いた。きみの大きな瞳は、涙を浮かべているようだった。
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
 だろうね、ぼくら、御伽噺のように恋愛結婚ができるような家督でもないしね。
 柘榴の落ち葉がかさりと鳴いた、ただの幼な子同士の、気休めだった。



 鬱屈としてる、僕の心は。今時政略結婚だなんて要素、使い古されていて逆に新鮮かもだなんて思うんだ。勿論、皮肉に口辺を歪ませてさ。せめて卒業して学業を置き去りにしてからでも良かったのではと思わずにはいられない、それが現実からの逃避行だったとしても。わざわざ、ホリデーの期間に、顔合わせを行う意味とは? いや、ずっとこの先、要らないんですけどね。だからつまり、そう、鬱々だ。
 どう足掻こうと僕はシュラウド家の長男だった、家長を継ぐ存在だった、政略結婚が待ち受けている存在だった。意味が分からん、はいお終い。暗転で全てが丸く収まるならどれほどよかったかと、重量のある酸素を胃の深いところに落とし込んでやるんだ。
「ねぇオルト、結局、僕の政略……いや、まあ、相手って何処の誰」
 せめてオルトがこうして僕の側にいることだけが心の支えだった。きりきりと痛む胃や背骨が耐えられないとばかりに逃げ出したいばかりだったから。
「えっ、兄さん、確認してないの?」
 してない。してないっていうかしたくないっていうか、してなんの意味があるというのか。結局、そこに自身の意思がひとつもないというのに。
「別に誰だって、変わりないだろ……」
「兄さん、誰とも分からない人と踊れるの?」
「うっ……痛いところを突かれた。というより、誰を相手にしてもそもそもそんな古典的な会合の戯れやめていただきたい……! パーソナルスペースの崩壊もいいところですぞ!」
 その誰か……つまり、政略結婚の相手と手と手を取り合って睦まじく戯れとお言いだ、両家。馬鹿じゃないの、ほんと馬鹿。
 カッと響いた、ホールに響いたそれはヒールの音だ。嗚呼つまり、その誰かさんがお出でなさったというわけだ。かわいそうに、本当に。これはきっとお互いに。
「あー、ども、シュラウド家の嫡男、イデ、……あ?」
 天に向けた両の手の平でままにくるりと振り返ると、僕の口上は途切れ途切れになるようだった。
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
 耳にはあの遠き幼い日の音と、鼻先に柘榴の落ち葉の香りが纏わり付くようでとたんに息が苦しくなった。他にも、君が、あまにも昔のままだからだ。僕が焦がれたそのままの姿でこの眼差しの姿にあるからだ。
「っ、君、ダンスは上達したの」
 本当はもっと違うことを言いたかったはずなんだ、僕の口も。溢れる感情に歪む僕の口辺を見るようにして君は、ただただ微笑んでいた。でも首は少し振っていた。ダンス、今も下手なんだ。
「ほんと、ろくな花婿が得られないね」
 嗚呼まったく、こういうのは心臓に悪い。ただ悪くなかった、ひとつも。
「お、踊っていただけますか」
 例えば、あの日のように。
 タン、つく、テン。タン、つく、テン。
「ふ、ひひっ、ほんと下手!」
 君は僕の爪先を踏むし、僕はターンで転げそうになった。でも、それでよかった。
 ありがちな御伽話のハッピーエンドが、あの日の倒木のように横たわっていた。それで、よかった。


(さみしいなにかをかくための題/https://shindanmaker.com/595943)かねてからの予言が当たった日、倒木の前で創作ダンスの振り付けについて考えていた話をしてください。)

【執着とは、此のように】
 蒼の炎が滴るその背中を頸から背骨の流れへと指の腹で辿りますと、彼のその青白い皮膚の上には葉脈を広げるように火傷の生傷が広がっていました。或いは、大地に根を下ろす大樹のそれです。
 けれども大樹と申しましても、根の細ばった先っぽから眼差しを追わせていけば分かります通り、その先々にあるのは植物と言い表すには少々どころかてんで苦しいもので、鳥類の、それは鶴と呼ばれるこの地域には生息しない鳥類のたった一枚のはねです。一対ともなっていないそれです。それは時折に筋肉の動きのままに空気を孕んで伸びてみたり視線から逃げるように縮こまったりし、私の眼差しの先でなんともはねらしさを見せてくれておりました。
 顔先を寄せると何処となく鼻先がくすぐったくて仕方がなくなる熱の香りがしますが、幾度とて身じろぐようにして逃げられますので肺いっぱいに吸い込んで自身のそこが歯痒くて仕方なくなるということはなかなかありませんでした。
 私自身の吐息で造形を辿ることはどうにも耐えていただけそうになく、眼差しでその流れを撫ぜておりますと明らかに此方の気を惹こうとする咳払いのようなそれが私の鼓膜を叩きまして、微笑ましさを奥歯で噛み殺しながら、その一対ともなっていないはねごと彼の背中を抱き込むようにして「いったいどうしましたか」と何とも嘘臭く尋ねてやるのです。
 そうすると彼はそっぽを向くようにして「き、気に入らない。とても。最上位系で」だなんて呟くように言います。むくれるように、彼の背中と私の胸に潰されたはねが空気を孕んで膨らみますので「何が、気に入らないんです」とこれまた硫黄の欠片ほども察していない素振りで返してやるのです。勿論、彼が私との会話の始まりに少しばかり心を浮かせたことも、本体の方にはちっとも構わないことに妬けっぽくなっているのも気付いていますが、あくまで何ひとつ知らないねんねえのように返しますのが私といったところです。
 また彼としましても、あくまで気に入らないのは違うところにあるように「な、なにゆえ一枚羽根を? どう考えてもつけるなら一対では?」だなんて、彼自身とて妬けっぽくなっているところを避けて言うのです。
 それがまた私の心には楽しく「いやだ一対の翼を生やすわけがないじゃあないですか」と返してやるのです。それにもまた何故だなんて零しそうな気配を感じましては、じゃあ与えてやろうと思うわけで。
 滴る蒼の炎に伏せた睫毛を触れさせるようにして唇を開き、「あなたが、私から逃げないようにですよ。お馬鹿さん」だなんて囁いてやるのです。
 ちろちろと蒼の炎が喜んでいるさまが、あなたが私に心を寄せていることが知れるから私は愉快で、私こそがあなたから逃れることができない生物だというのが我がことながら心底悦ばしいことでありました。


(はねがはえったーβ/https://shindanmaker.com/650646)いであさんは1枚だけ鶴によく似たはねがはえます。はねのことはむりやりつけられたものなのでどうしても好きになれません。)


【殺伐】
 別に、お前のことなんて試みていない。ただ僕自身の指の腹がその喉の骨を押して沈んでいく過程を楽しんでいるだけに過ぎない、この口辺を酷く歪に吊り上げてさ。そんなの、本命の子に見せられるわけもないだろう。お前の眼差しに幾ら晒そうとさ、それはひとっつも控えやしないんだ、そうだろう。だってそうだ、だって、これはただの取引でしかないんだから。みしっと軋んだ、ほらちょっと此の口辺の端はひくついた。それは健全な男子として仕方がない。びくついたそこが何処だなんて聴いてくれるな、お前の口の端に乗るそれが喜劇めいているだろう。
 お前の喉が跳ねる時、少しばかり僕の心は浮き浮きとしている。それはほんの少しさ。だって、僕の毎日は地の獄みたいなものだから。だから、お前の所業でちょっとばかり浮ついているが過ぎないんだ。自惚れないでほしいな、僕の戯事に。お前も濡らすなよ、その眼差しと如何なる箇所も。嫌になるだろう。生きることが。
 これは単なるゴシップでしかない、解るだろう。
 名の馳せるシュラウド家とは何だ。文字と数式の羅列には気が滅入る。
 もし、お前が如何なるも受け入れないとしたら。それこそが、神話のひとつと成り得るかもねと笑ってやるんだ。




 イデアさんの、闇夜の空に唯一として君臨するかのような金色の月の眼差しが私などの姿を見下ろしている。けれどそれは何処までもただ、位置関係のそれでしかなかった。月がただその位置に存在し続けているような義務的なものでしかない。そこには些細な夜風が孕む花技の香りも湿度を伴った温度もなく、男女の色恋沙汰など到底に見つけようもなかった。どんなに高性能な顕微鏡を用い覗き込んだレンズの先にも存在していない、もしやと身を踊り出してくるのは私の間抜けた表情を伴った自惚れ屋。えへらと笑った自身の口辺に嫌気は差している、それでも反射で笑んでいるということはもしや私みたいなやつがと一抹の期待を抱いているのかもしれない。彼が私を好いてくれるだなんてないことを知り分かっているはずなのに、肌と肌が触れ合っているということがいつかは重大な意味を成すだなんて希望を、生み出してはこの夜に少しずつ殺されていく。
 例えば、イデアさんの私にとっては何処までも愛しい指先その指の腹が私の喉の骨をひどく押し沈めていくとして、彼自身の意思を伴ってそうされたということが私にはひどく嬉しくて、震えるしかない。唇も、眼差しも、四肢末端も、そうして少しばかり口にするのは憚れるところなどが生理的に震えるのを、どうしようもない。浮いてしまう涙で確かじゃあなくなる視界でそれでも見上げた彼が、月が、多少なりとも無機質を他所にやるなら、それ以上のことはない。嬉しくって笑い声が漏れたのか、酸欠で苦しくて喉が跳ねたのか傍目には定かじゃなくても。

 彼にとってはこれは単なるゴシップでしかない、解っていてもそれでいいと思っているから私はただのゴシップでしかない。
 名の馳せるシュラウド家がどうたらなんて知らない、文字も数式の羅列もどうだっていい。
 もし、だなんて戯言を零したその唇に喰らい付けたら神様を殺す気分にもなれるかもしれないと自身を笑ってみせた。彼は唇だけは許さない、滑稽だった。


【舌に劣情】
 舌が重いんだ、まるで脱脂綿のようだ泥水を啜って這いずり生き抜いてきたみたいな。一種の生命体だ、身を重苦しくやぼったく、くねらせている。いっそ、演技過ぎて笑えてくるような。ずるりと右へうねった、ぴくんと左へ小跳ねした。別段、それでいて何処までもこれは器官でしかない。そうだ、此れは僕の舌であったと再認識するんだ。例えば、君の同じに舌のほんの少しばかり上で身動いでさ。滴る、これは僕の劣情だ、所詮、糸を引くような唾液でしかないとしてもあろうかそのような表現をしてやろう。誰も、眼差しにしていないのだから。僕もお前も、視線などやっていないだろう。いとまもないから。あまりにも劣情を抱え込んだ僕の舌は君のそれにしな垂れかかるを越して、覆い、潰す。この力関係を知れと言わんばかりだ。体格差ばかりだろうと、そんなの素知らぬ顔なんだ。ちょっとだけ引っ込んだ、喉奥に後退したそれが愛しいんだ。僕が優勢と知れるから。僕自身の唾液をお前の喉の奥に滴らせる時、下腹に渦巻く死者の河の渦潮など到底に値せぬ感情が四肢末端に飛び出てやまぬ。だからつまり、君はいつまでも僕にとっての保護下でいて欲しいと思っているんだ。それって、欲深いが過ぎるかな。嘲笑っても、いいけどさ。


【えっち】
 ミディアムレアの肉の塊を口に運んだイデア先輩のその所作から私はひとっつも眼差しを逸らすことなんてできなかった。万が一にでも、濁った透明を孕んだ死んだ血の色が先輩の下唇を濡らさないものかなどと期待しながら、些細な川が生まれいずることを切望するように逐一見守ってしまう。何処かに存在しているかもしれない、死者の河なんていう伝説のそれを発見するよりもそれは私の中で重大なことだった。
 かちりと鳴った、それは磨きに磨き上げられた銀のナイフが先輩のあの鋭利な歯で板挟みになったせいだ。そのようなマナー違反をなさるだなんてと不意を突かれた私の手元で同じようにナイフが皿にぶち当たり、先輩のものより酷く滑稽な鳴き声を互いの間に響かせたようだった。
「見過ぎですぞ、えっち」
 ぽたりと落ちた、鴨の無残な死体を彩るクランベリーソースにも似ている気がしたそれは偏に私の鼻血だった。それを確認しながらも、私は何度もこの頭蓋骨に反響するイデア先輩の声音にエラー動作を繰り返すしかなかった。それしかなかった。