その指おくれよ


「結、納……僕と……?」
 呟くような声で聞き返した僕の声に、あなたはいつもの無表情にも見えるそれで唇を薄く開いてそうと小さく言葉の音を零した。
 仮、などと付けられた政府からのその制度の強制力を審神者も刀剣男士も知っている、抗う権利など与えられていないと。今の時世に合わぬそれは刀剣男士がただ刀であった頃のそれを思わせる、御家同士の繋がりだ、ただの。
 契る刀剣男士までをも指定して、政府はありとあらゆる可能性を掴む為などと嘯いて権力を振り被っては審神者をいいように扱う。女人の審神者の就く本丸には一様に此度の任が流されていることだろう。
「あなたの初期刀は僕じゃない……錬度だって足りていないわけじゃ……」
「小夜、ごめんね」
 自身が至らないばかりにと、申し訳なさそうにあなたは言う。その声色に浮かんだ感情が僕には分かる。初期刀でないにしろ、僕があなたに顕現されたのはもう随分と昔、僕は長いことあなたと共に在った。悪いのは、あなたではないんだ。
「……僕は、……」
「神をも恐れぬ愚者の集まりだ」
「……付喪神は、末端の座だよ。……神と付けど」
 僕は部屋の隅へと視線をやるようにしながらあなたの心を伺うしかできない。何をどう言って行動に移そうと、結果は変わらないと知っている。
「昼餉の席で、皆に報告しようか」
 ただ、僕は頷いた。

 宣告通りあなたが昼餉の席で口にした事柄に皆が一様に何らかの反応を見せていた。江雪兄さまはいつも通り静かだけれどその目はいつもより見開かれていたし、宗三兄さまは意味有り気に唇を笑ませて僕を見ていて、歌仙は音無く唇に祝を述べていた。そうした反応を前に、僕は昼餉を見下ろすように顔を俯かせて淡々したあなたの声を聞いている。
「主、祝いの席を設けよう」
「いいよ、何もしなくて」
「酒盛りしよーよ! お酌しちゃうぞ~」
「次郎太刀」
「いいじゃん兄貴、酒を酌み交わしたほうが契りっぽいってぇ。ね? 主?」
「……では、日頃の働きを互い労うということで。しましょうか、酒盛り」
「ぅうん、ちょーっと違うけど……まっ、そういうことで?」
 あなたは話は終わったと箸を手に持つ、皆も食事を始める。僕とて昼餉に箸を付け始めたが、何故だか味はよく分からなかった。

 宵、確かに言葉の通り大広間では酒盛りの席が目前いっぱいに拡がっている。各々が杯を傾け、酌み交わしたりを楽しむ。僕はあなたの隣に座っているわけだけれど、居心地はとてもじゃないが良いものとはいえない。その流れは当初よりちらほらと穏やかになったけれど、僕とあなたの此度の契りにと皆が入れ代り立ち代り酒を注ぎにくるものだから、それに口付けては同じように酒に唇を濡らすあなたの心持を思って僕は度に体と心が重くなる。あなたが、分からない。
 宵が深まる、だけれど席の熱は一向に下がらない。尻の据わりが悪い。
「私は部屋に戻るけど、皆は好きに続けて。明日に響くことはないように」
 少しだけ紅い頬であなたは言った。静かな声だけれど、それは皆の耳に入る。僕はあなたに目をやり、腰を上げてその場に立ち上がる姿を見ていた。その体の軸はふらふらとしているでもない、しゃんとした背筋であなたは立っていた。流れる水のように、緩やか動いたその体は言葉通りに部屋に帰るに足を踏み出すものかと思った。けれどその前に、あなたは去り際僕の耳に言葉をひっそりと告げた。どきりと、した。

 部屋の前で、僕は幾分迷っていた。自身の耳の裏に響く脈打ちが緊張の音なのだろうと思う。
「小夜、入んなさい。冷えてしまうよ」
 あなたの静かな声が障子のその向こうから聞こえてきた。僕は障子戸へと手をかけて、確か招かれるままに部屋へと足を踏み入れた。
「ああ、来てくれたんだね」
 紙面から顔を上げたあなたのその唇は小さく弧を描いているようにも見えるし、やはり何の感情も浮かべていないようにも見える。
「此方へ」
 促されるままに、あなたと向かい合うよう座った。座ってしまえば僕の視線の高さはあなたより低い。その高さを僕はさらに下げた、あなたは書き付けていた紙を文机に預けたその手で代わりにと取った小箱を開けて僕へと差し出したから。
「契りの品だよ」
 指輪、とその小箱から人差し指と親指で抜き出されたものを僕は見やる。輪の先にはあなたの衣の柄が窺えた。
「一つだけであるのは、契りの品を身に付けるのが審神者だけであるから。小夜へは言の葉の契りで目には見えぬ呪いの輪をかけることになるけれど、……いい?」
 いい、と聞いた声色は何だか幼いものに聞こえた。僕はそれに口を開かぬままに頷いた。あなたも、小さく頷いた。
「先に、これを私の指に嵌めてほしいのだけれど……」
「分かった。……どの指でもいいの?」
「こちらの……薬指に」
 あなたの左手を取り、受け取った指輪を反対の手で構える。その僕の鼓膜が微かな笑い声に震えた。見やれば確かあなたが笑っている。
「今の世はね、こうやって愛を契るんだよ。結納というより結婚という言葉が一般的だ。愛している。私の奥になってくれ、とね。……ふふ、ちょっと違うかな」
 あなたの笑う声色と唇のなだらかな弧に僕は迷う、迷うがその言葉を聞いては契りをその指にやるのを止めることがない。あなたの細い指に輪がかけられた。
「小夜、指を」
「……うん」
 あなたの指がその腹で僕の指を撫ぜる。輪を描くように撫ぜられその皮膚が、熱い。あなたは小さくそれでいて確かな詞をその唇に紡ぎ始めた。それは守唄のようにも僕の心を揺らす。胸が温かい、体の芯さえ熱くなるようであった。心地いい熱だ、だけれどそれと同じに僕はこの身にある澱みをあなたの前に忘れようとしていたことに気付いた。
 あなたの手から自身の手を抜き去り、僕は遮った。
「痛かった、かな」
「……痛くないさ。……でも、この胸は痛い……ねえ、僕なんかがあなたと契っていいはずがないよ……」
「小夜……」
「僕は……あなたを傷付けてしまうんだ。……穢してしまうんだ。……僕では、駄目だよ。僕では……っ!」
「小夜、ごめんね」
 あなたの熱に僕は抱かれた。
 僕をその胸に抱き込むようにして、あなたは僕の手を取る。指と指が絡められ、あなたを見やった僕にその眼差しは瞼閉ざされていた。
「君が嫌がろうと、事を進めてしまう私を許して、――」
 あなたの唇は、最後の詞の一節を零したらしかった。
 指が熱い、その指だけが炎の化身に喰いつかれているかのようだった。その指の熱を宥めるようにあなたが僕の背を撫ぜ下ろす。
「……指が、熱いよ」
「ごめんね……直ぐに何ともなくなるから」
 言葉とは裏腹、熱いのは指だけではなく、寧ろ指より一層にこの体、心が熱かった。身の内を流れていたこの人の霊力がより濃いものになり、巡る血には僕自身の感情と綯い交ぜになりながらもこの人の感情が溢れたから。
 あなたは僕以上に不器用なのかもしれない、あなたの目は口ほどにものを言わないけれど、この身を巡るそれは何よりも僕にあなたの感情を伝えてくれた。
「僕は……僕も、……嫌じゃないんだ。寧ろ嬉しくて、……あなたが大事だから、……僕なんかが触れてしまうことに、戸惑う」
 僕を抱くあなたに手を伸ばせない僕の迷いだ。
「小夜、……私も小夜が大事。壊さぬよう手を震わせてしまうこともある。……それでも、恐れに触れることを止めてしまわないで」
 あなたは僕の頬にその手を寄り添わせた。その目は、口以上に僕へ告げていた。
「……僕は……知らないだろうけれど、……あなたが好きだ」
 その目を見やりながら告げればあなたのその瞳はたちまち潤み、そこから零れた滴が頬を濡らした。僕はその涙が綺麗だと思った。触れたいと思った。手を伸ばしかけ、戸惑い、下ろした。それでも、指先にはあなたの衣の袖を握り込んだ。
「……知らなかった。でも今知れたよ、……ありがとう」
 あなたはこんなにも幼く笑むのか。僕だけが知るその笑みがそこにあり、僕の胸を狂おしく焦がす。これが、愛おしむということか。
「……今は……この胸に宿る復讐の炎より、逸る思いが胸を焦がすよ」
 あなたは頬を濡らしたままに僕の言葉を待っていた。
「あなたに触れるには幼いものだ、この身は」
 言って、黙った僕にあなたは睫毛を瞬かせ残りの涙もその頬へと零す。詞を紡いだ僕の指を手に取ったあなたはままにその唇へと寄せた。しっとりとやわいそれが僕らの契りに寄り添った。
「君の思うままに、触れていいんだよ」
 この人の笑みはなんて僕の心を捉えて離さないのだろうか。
 僕の指に触れた唇に指先で触れ、その感触を確かめた後でもそれをより知りたいと自身の唇も寄せた。なんて心地よく、心を満たすのだろうか。
 気付けば、僕はあなたの体に縋りまた縋られていた。戸惑いはもう、有りはしない。
 月を背負った夜がゆっくりと更けてゆくのを互い、閉ざした瞼で感じていた。