墓参り
「主、何処かへ行くのかい?」
生憎の雨空だ、この様な日和にと歌仙の眼差しは審神者部屋より覗いたその姿を捉え、またその装いへと続けた言の葉を紡ぐ。
「濡羽色……ああ、そうか……今日は、きみの夫君だった人の……」
歌仙は審神者の装いの色と、その腕に抱えられた菊や竜胆などの和花を見た。彼も、審神者も、その日の名を音に紡ぐものとしない。しかし、互い分かっていた。だから歌仙の表情に陰りは生まれ、審神者はその腕の花々をそっと抱え直す。
暦は、命日を知らせていた。
「一年か……早いものだね」
「ええ。泣き濡れていた時を思えば、今この折に私が在ることが不思議だわ」
「そう言うものではないよ、命は尊いものだ」
「知っていますよ」
夫君のことを、歌仙は知っている。彼がこの本丸に顕現されたのは夫君が亡くなるより前のことで、僅かの半年にも満たない月日であったがその人と今に視線をやるその人が仲睦まじく時を寄り添わせていたのを目にしていた。それは、未だ記憶に新しい思いだ。そうしてその泣き濡れる姿を見て、悲痛な叫びを、歌仙は聞いている。
「愛に生きれども、それに死んではいけないよ」
「死にませんよ。それとも、歌仙の目には私が死人に見えるのかしら」
「いいや、生き人だ。だけれど、きみが何かを秘すとしているのが分かるものでね」
「…………」
「うん、しかし、それが何であるかなど僕には分からない。だから、そうも体を強張らせるのは止めるんだ」
花が、崩れてしまうよ。そう、歌仙の唇は紡いで音に審神者の強張りを宥める。紅の引かれた彼女の唇はきゅっと結ばれているが、彼はそれから視線を外して庭先を見やった。
しとしと、雨が庭石を濡らす。
「雨冷えだね」
「花も、散ってしまいますね」
「何れ散るが定めとあっても、物悲しいものだ。喪うから美しいのだとしても」
「……ええ、そうですね」
「雨に散る花はまるで、泣き濡れているようだ」
風が吹き、僅かの雨粒が縁側をぱたたと打った。
「きみのその心は、未だ泣いているのかい」
魅惑的であると同時に悲しげな微笑を、歌仙は審神者へと浮かべている。そうして審神者の腕の中の竜胆を見てから、その眼差しを彼女へとくれてやった。だけれどと、審神者は腕の白菊へと伏し目に唇を開く。
「泣いていませんよ。だって、愛しているもの」
花の言葉に互い、無音を過ぎらせた。
だから、ふぅと息吐いた歌仙のそれが部屋に響く。彼は花を見やるを止めている。
「主、墓参りの共は連れて行くのだろうね」
「ええ、一人で行くつもりは」
その言葉が終わるかどうかに、襖は静か音立てた。歌仙の見やる視線の先には己と同じ色を持つ者がいる。審神者もまた、その藤花色へと眼差しを向けた。
「きみが共か」
「ぬ」
「歌仙、留守を頼みますよ」
「……ああ、拝命しよう」
歌仙は審神者の腕に花と共に抱かれるぬいを見て、僅か頭を垂れたその下でその目の蒼さを深めていた。
ぱたぱたとした音は、雨粒が傘を叩くもの。季節に合わずと言えど、紅葉の陰りとした紅樺色は傘影に審神者の目顔にかかる。その色、藤花色にも重なり。
「……ごめんなさいね」
雨の空気を孕むように、静かな声で審神者は音を紡いだ。浅葱色の眼差しは水溜り、水鏡のそれに広がる波紋を見やる。
音は耳の裏側に響く審神者の心音。それを知って、紡ぐ音は僅かな焦燥、悋気の念。
「ぬ」
審神者は彼の声色に浮かんだそれに、自身の頬が緩むのを感じた。
「だって、仕方が無いわ。全てを偽れば気付くもの、歌仙は」
「ぬい」
「だから、誠と白菊を見て紡いだでしょう? 聞くだけ、見てはいなかったと言うのかしら」
「ぬ……ぬぬい」
「ふふ……ええ、何に一つも夫であった人のものではありませんよ」
「ぬっぬっぬぬい……!」
「男の嫉妬は見苦しいなど、誰が言ったのかしら。可愛いものね」
ぬいの手が僅かに竜胆の花を払う。
悲しんでいるきみを愛するなど、言わせるものか。あの唇がそう紡げど、きみの此の身此の心は自身のものであるのだから。何に一つも譲りはしない。同じ藤花色を持とうと、刀を振るうに躊躇など在りはしないのだ。一年前と同じように、不粋者の首は斬り落すのみだ、と。
「嗚呼、私は愛に生きていますね」
そうして審神者は夫君であった者の前――とはいえそれは唯の墓石であるが、その前にて不義理に口付けた。
花はただ、地に散り落ちるのみである。