心化粧は要らぬ


今日の本丸も平和だ、穏やかに眠気を誘う陽光に照らされる心持のよい昼下がり。その場少し離れれば短刀部屋の前、庭先ではその刀達が賑やかに遊戯に興じていることであろう。
 穏やかではないのは、そう、審神者の胸内だ。
 この本丸の審神者であり皆の主である彼女、彼女はその部屋にて立ち竦みその顔色を青褪めていた。見渡せば部屋は彼女の自室ではない。選び抜かれた諸本が書棚へと並び、床の間には持ち主がその手で活けた花々。掛け軸には和歌が詠まれており、飾り棚には価値ある茶器が並ぶ。つまり、審神者がいるそこは歌仙兼定、彼の自室であった。
 次に審神者の顔色を青褪めさせる要因を書き表すなら、そう、彼女の視線を追えばよい。彼女が眼差し見下ろすのは割れた茶器、当たり前に歌仙の私物。審神者が割ってしまった、歌仙の茶器。
 首を差し出せ。
 審神者の脳裏に響く静やかな声、冗談では済まなかった。彼女は己のほんの過去の行動を悔いる、心より。ただなんとなく、なんとなく歌仙の気に入りをじっくりと見てみたかっただけなのだ。思えばその場持ち上げて慎重に見るだけで良かったのだが、審神者には茶器の価値などひとっつも分からず、日差しに翳してみてはじっくりと見ていたのである。角度を変えてみたり、あの手この手。歩みながらのそれは明らかに、不味かった。
 ぁ、と思った時には既に遅い。つるりとした陶磁器、彼女の手の平をつるりと滑った。それは寸に畳へと打つかる。打つかっただけならまだ良かった。審神者の鼓膜を震わせた、がしゃんという絶望の音。そう、眼差し見下ろせば割れた茶器だ。自身が割ってしまった歌仙の気に入りの茶器だ。
「まずい……まずい、まずい、まずい……!!」
 暫くは言葉も無くしていた審神者であったが、ただにそうしていても状況は変わらぬと気付き、打破する術は見つからずとも慌てだす。その場を右へ左へ、左へ右へ。
「まっ、まずは片付けよう!」
 証拠隠滅、どう考えても気に入りのそれが無くなっていたら歌仙は気付く。彼でなくとも気付くだろうが、混乱している審神者は兎にも角にもその割れた茶器を片付けようとした。さっとその場にしゃがみ込み、午後の陽光に煌く白い陶磁器に指先伸ばす。
「ぃっ、?!」
 しかしその手は寸に引っ込められた。見ればその指の腹には切り傷、慌てた為に破片のそれで切ったのだ。
 あわあわとする審神者のそれなど知らぬとばかりに追い討つのは足音、彼女の鼓膜を揺らした。その足音は審神者のいる部屋へと近付いてくる。なればそれが誰であるかなど想像に容易い。歌仙だ、歌仙に違いない。審神者の脳裏では首と胴が離れ離れになった自身の姿が浮かんだ。
 ひぃ! と悲鳴一つに彼女の体は咄嗟に逃げ出す。とはいっても足音は近い。冷静な判断など取れぬ彼女が逃げ込んだのはただに押入れ、その部屋の押入れであった。人はいつも己から逃げ場を失くしてしまう生き物である。
 薄暗い、押入れの中。けれども少しだけの隙間、光の線が審神者の体へとかかっていた。
 静かな音、けれども審神者には大きく聞こえた。自室へと歌仙が足を踏み入った音。息を潜める彼女の眼差しの先、歌仙のその視線は直ぐそれに気付いた。浅葱色が見下ろしているのは割れた茶器。ぴくりと跳ねた彼の片眉、不機嫌な様を表す。
「………………」
 無言、歌仙は言の葉を紡がずに割れた茶器を見下ろしていた。自身がその眼差しに見下ろされているわけでなくとも、まるでそうであるかの如く審神者は心中ひぃひぃと声を上げながら嫌な汗を掻く。歌仙が動く、それに彼女は飛び上がらんばかりに肩を体を跳ねさせる。音は必死、立てぬように。
「…………」
 彼女の様子も知らずに歌仙はただその場に片膝を突いただけだ。かちゃり、かちゃりとした音。割れた茶器をただ片付けるだけの音。審神者に動向をひたすらに窺われながらも、その手は破片を集めるだけ。
「……」
 しかし歌仙のその動作は止まった。彼の指先に摘まれた破片、陶磁器の白いつるりとした表面。白に浮かぶ朱、それを浅葱色はじっと見ていた。
 それに審神者はハッとなる。忘れていたその切り傷がじんわりと熱をもつ。深くはないそれ、痛いものではないが燻るかのような感覚に彼女の唇は仄かにきゅっと引き結ばれた。
「……ふぅ」
 一度動きを止めていた歌仙ではあったが、小さく息を吐くそれの後には片付けることを再びとした。だから審神者の鼓膜はかちゃりかちゃりとした陶器の音に再度震わされる。
 粉々とまでは割れていなかった茶器を片付けることなどそう時間もかからぬ。すいと立ち上がった歌仙が審神者の視線の先から消えた。襖の隙間からはその後を窺えない、聞こえてくる紙同士のがさがさという音に片付けるそれが続いていることは窺えるが。
「っ」
 自身の心臓の音が耳につく、その思いで息を潜める審神者の視界に歌仙の姿が戻ったのは早い。そうしてその姿が確認できる場へと彼は腰を下ろした。それに審神者は疑問を覚える。偶然、歌仙は押入れの中の審神者と対面するような形であるから、それによりと脈打ちを忙しなくさせながらも。
「…………」
 浅葱色はじぃと見下ろしていた、その手の中のものを。審神者とてそれを窺うように視線を落とした。
 歌仙の手は水を掬うような形。大切な、壊れ物を扱うようなやわらかなそれ。彼の手の平に乗っているのは、茶器の欠片であった。審神者は申し訳なく思う、自身が彼の大切なものを壊してしまったことに。謝罪の言葉を今は紡げずとも、彼女は眉を困らせながら歌仙を見やる。視線の先、欠片は歌仙の片手だけに。そうしたもう片手、彼は指の腹で陶磁器の皇かさを撫ぜる。
 ぁ、と声は出さずにそれでも審神者は思った。歌仙の指が触れているそれが、自身の血が付着している欠片であると知った為に。
「…………はぁ」
 その吐息、審神者はどきりと胸を小跳ねさせた。歌仙の零した息とその音が孕んでいるものは、気に入りの茶器が割れてしまっての落胆のそれではない。響きは、熱を孕んでいるようなそれだ。
 いけないものを見ているような、いけないことが始まりそうな予感に審神者は押入れの中で視線を左右に泳がせた。そうして一度俯かせる。鼓膜を震わせた歌仙の吐息は拭えない。だから、彼女は眼差しを上げてしまいそうして目を見開くことになる。
 歌仙の唇は、寄せられた陶磁器へと触れた。それは愛しいものに触れるが如く、やわく。その白くつるりとした表面に朱が散っていようと気にもせず、寧ろその朱を求めるように。
 ちろりと覗いた紅い舌。紅と朱は触れ合った。
 いけない、早く此処から飛び出て何も見ていないという体裁でただに割ってしまったそれに謝罪せねば。そうと脳裏の片隅に思いながらも審神者はその場動けずにいる、また視線を外すこともできず。彼女の零す息だとて知れずに熱を孕んでいた。
 衣擦れ、装いを寛げる音。そっとやわく傍らへと欠片を置いたその手は裏腹、あまりに性急であった。
「っ」
 仄かに勃ち上がった、歌仙の雄。審神者の眼差しの先に晒される。
 審神者は己の口元を両の手の平に覆い、尻を擦りつけるようにして後退した。だけれど逃げ場などそう無い。その背は直ぐに壁へと触れる。いや、それは壁などではない。はっと気付く審神者。彼女の背に触れているのは歌仙が寝入る際に使う布団であった。そうして彼女の鼻先は歌仙の香にくすぐられ、その頬はよりと紅色を濃くするもの。
 歌仙の手の平は自身の肉慾を握り込んだ。それは寸に肌を滑り撫ぜる。肌を摩る音は審神者の耳にも届く、彼女の視線はもちろんその音の出でるところから逸らせずにいる。文系だ何だと言いながらも体躯のよい歌仙、その雄もまた審神者を震わせる見目をしていた。震わせるはそれだけないことは百も承知であるし、身体が震えたのが恐怖からくるものでないことも確か。
「っ、ふ……は、ぁ……」
 仄かな音は歌仙の唇より。睫毛の影、浅葱色を揺らしながら自身を扱き上げるに艶やかな響きのそれを歌仙は零した。
 自らの肉慾を慰めるその手は審神者が心配になるほどに激しく感じるものだ。実にはそうでなくとも、このような行為を目の当たりにしたことがない彼女にはそうと感ずる。根元から張り出しの括れまでを手早く、力強く扱き上げるそれ。
「っく……!」
 知られずとも歌仙と対面している審神者にはよくと見えた。先割れがぷくりとした珠露を浮かせ、涙を頬へと零すが如くに流すのを。彼女は息を詰める、歌仙とて僅かに息を詰める音を零したがそれは先走りを自身へと塗り込むようなくちゅくちゅとした音に紛れていた。
 仄かに勃ち上がっているとは言い難い、今や歌仙の男性器は十二分に硬く張り詰め反っているのだから。竿に浮いた血管やびくびくと震える裏筋が、審神者の眼差しの先に晒されている事実。彼女が唇より零した吐息は甘く、まるでねだるような響きのそれであった。
 淫らであると水音が、くちゅりと。
「ぁっ、…………!」
 それは小さな、小さな漏れ声。装い越しとはいえ無意識に自身の中心を指先に撫ぜてしまった審神者は甘い痺れに体を震わせ悦とした声を零してしまった。薄く開いた唇は寸に引き結ばれる。自身の体が熱を孕んでいることなど疾うに知っていた、それでも歌仙の姿を眼差しにしながら己の恥ずかしい場所に触れるなどと首を振る。振りはしたが、その誘惑の深さに抗えるほどの生易しい熱ではなかった。その身に燻るものは。
 ぁあそうだ、己の零した声を聞かれては、存在に気付かれてはいないだろうかと審神者は慌てて歌仙の様子を窺う。彼女が声を漏らしたその瞬間、彼とて重ねるように音を唇に寄り添わせていた。歌仙の手の動きは留まっていない。気付かれて、いない。そうして彼女はその胸を安堵に撫ぜ下ろす。さすればその手の平さえ、装いの下に差し込まれやわ肌を撫ぜることであろう。豊かとはいえない胸をそれでも指先に揉み、もう片手も下腹部を撫ぜり秘すとしたところへ忍ばせる。くちゅりとした音は再びと響く、此度のそれは直に触れたものではあるが。
「っ、ぁ……!」
 歌仙の指の腹が鈴口をぐちぐちと押し撫ぜるのを眼差し、彼女は己の秘裂をなぞる。ひくつき求めているのを感じながら入口を撫ぜれば、手の平ぷくりと膨れた自身の芽に触れてしまい指先を跳ねさせる。歌仙の手が竿を扱き上げるのを見ながら、彼女は自身のふくれたそれを拙くも引っ掻く。声を漏らさぬように心がけるその唇はそれでも濡れた喘ぎの音を小さく零し続けた。
「ぁ、ゃ……!」
「ぁ、るじっ……!」
「っっ!」
 それは声だ、吐息ではない。そうして求められたのは自身だ、それに審神者はびくびくと体を震えさせる。指を胸の肉に埋めるようにして、秘すとした肉の芽を押し潰すようにして、快感に震えながらも耐える。
「あるじ、あるじっ……!」
 一度の呼び縋りの後、堰を切ったように求めるを繰り返す歌仙に審神者とて彼の名を呼び縋りたい思い、それでも必死声を押し殺して自身への愛撫を繰り返した。
 襖一枚を隔て、歌仙と審神者は自らを慰める。ぐちゅぐちゅ、くちゅくちゅと、水音は交じる。
「ぁ、ぁっ、……!」
 弾くようにして愛撫するその指は先に破片で切ってしまった指。薄く皮膚を切ったそれ、自身を撫ぜる度にぴりりとした痛み。それすらもどこか気持ちよく、行為に溺れるものとする。
 歌仙の手の内、びくんっびくんっと跳ね上がる雄。まだ欲を吐き出さずとも張り詰めたそれ。彼の股間が凛として咲く花の如く熟した彩りを魅せているのに陶酔した思い、触れてもらえぬと彼女は自身の手でひたすらに熱を撫ぜさすり続ける。
「っ!」
 瞳の色を交わしたような、そんな錯覚。心は跳ねる。肉慾に追い縋る行為は激しくなる。それは互い。
 忙しなく審神者が手を動かすと空気は揺れる。そうすれば後背に在る歌仙の布団より香るそれがよりと彼女の鼻先を撫ぜた。肺に彼の香を取り込み、満ちる。くらくらとした。それでも香を受け入れる。歌仙を受け入れる。誠に彼を受け入れたいのは、と薄ぼんやり思ってしまった審神者の腹の皮膚の下、胎も疼いていた。
「あるじっ! 僕はっ……! きみがっ、ふっ、ぅ……!」
 声は言の葉、されど全てを紡がない。
 浅葱色は潤んでいる、縋りつくような眼差しを見せている。乞われるようなそれに応えたい思い、審神者とて同じようにその目を潤ませていた。
「っ好きだ! あるじっ、あるじっ……!」
「ぁ、ぅぅ……!」
 その確かな言葉を彼女は聞いた、感じたことのない激しい心の震え。
 好きだ、好きだあるじ、と言葉を繰り返しながら己を扱き上げる歌仙に審神者は心の内で同じように彼の名を呼び縋りながら愛を紡ぐ。かせん、かせん、わたしも、わたしもかせんが好き、と。
 そうして吐息の音も淫らな水音も重なるかのように。思いは絡み合い、快楽はこれとないところまで昂る。
「ぅっ、ぐ! でるっ……! あるじっ! っふ、ぅ゛う゛……!!」
 もう限界であると声に訴えながらも竿を扱く手を止めぬ歌仙、なれば儘に欲は猛り狂いきる。ぐちゅぐちゅ、ごしごしと扱くままにその腰は僅か突き出され、精液はびゅっびゅっと勢いに吐き出された。
「っひ、ぅ、かせっ……!!」
 背を丸めるようにして、審神者はその身を縮めた。その手は腿の狭間、強く挟み込んだままに。ぎゅっと固く閉じた瞼、震える睫毛。腿も痙攣するかのような震えを見せていた。咥え込まずにきゅぅきゅぅと悩ましげにうねる膣、彼女は気をやっていた。快楽を極めていた、歌仙と同じに。
 はぁはぁと、その体制のままに審神者は息を心を落ち着かせようと呼吸を繰り返す。
 ことりと、音。
「?!」
 それに審神者は驚き顔を上げた。気付けば、光は線ではなくままに彼女の、その姿を浮かび上がらせていた。浅葱色に、彼女の欲濡れた姿は泳いでいた。
「あるじ……」
 彼女を呼び縋るその声は明らかな情欲に濡れている。
「ぁっ、や、……!」
 逃げ場などなくともその手の平をさっと引き抜き、後退しようとする彼女の背は歌仙の布団に僅か埋もれるだけ。
「あるじ」
 歌仙は未だに熱を孕んだそれで審神者を呼び縋る。そして彼女の手は、歌仙のその手へと。それは自身の肉慾に追い縋っていた肌同士の触れ合い。それを知り、審神者はびくりと震えた。擦り寄せた腿はまだ焦れている。
「きみは、いけない人だ……」
 胎に響くような、低く静かな声。歌仙の唇は薄く切ったその指の腹へ触れ、舌先までも触れた。それは彼の舌が彼女の蜜を舐めたということに他ならない。ちろり、ちろりと舌先舐めるそれを拒絶することなどできない。拒絶する意思など今の彼女は持ち合わせていなかった。
 熱はぶり返し燻っている、それはきっと歌仙とて。
「仕置きが必要だね?」
 その身、抱き寄せられ後を余儀なく。
 ただこの折に歌仙に好きという言葉を紡げなかった審神者だが憂うことはない。この後にその身は一心に愛されながら善がり言の葉を紡ぐに至るのだから、幾度と。
 今は言葉を紡げない要因、唇を戯れさせるそれを深く舌を絡めあうものにする歌仙と審神者はままに黄昏を迎えることであろう。