蜜蝋の灯りは危うい


「――主、まだ起きているかい」
 静やかな宵、筆を滑らせていた紙面からおもむろに顔を上げたのはそんな声がかけられたからだ。火の灯された蜜蝋に照らされる薄暗い部屋から廊下を見やれば、月光の為に其方がより明るいのか障子に薄ぼんやりと浮かぶ影。それは座った人型。しかしその姿形で確かめずとも声で分かる、先の声かけが歌仙兼定からのものであると。
 部屋の主でいて此処の本丸の主である審神者が僅か眉を顰めたのは、夜毎区切りを知らず任に励む己にお小言を零すのがそこにいる彼であるから。懸命に励むのは構わないが過ぎたるを知らねば体を壊す、そしてそれでは本末転倒ではないかと口を酸っぱくして説かれること両の手の指では足らぬ。自身の心配を心よりしてくれていることが分かる故に、審神者の眉は寄るのだ。ただの人以上に心優しい彼等の為にも審神者業に励まねばならぬ。政府との折り合い、この本丸の日常を守るに。だから、だからと審神者が見やった時計は宵闇の深さを記している。重い、思いに彼女は唇を開いた。
「……起きてる」
 障子に浮く影は僅か前のめりに揺らいだ。審神者は墨の乾いていない筆が転ばぬように慎重に硯に預け、待った。彼の言葉を。聞き流すしかないそのいつもの言葉を。
「宵深くにすまないね。……しかし、自分ではどうしようもなくて」
 審神者の片眉が上がる、これはいつもと違うおかしいぞ、と。正座、文机へと向けていた膝を障子へ浮かぶ影を見やるよう向けた。蜜蝋に灯された火に揺れるその影を見る。
「刀の、手入れをしてくれないか」
「手入れを……?」
「ああ」
「それは、歌仙のこと?」
「ああ」
 審神者の、もう片方の眉も上がった。今日――いやもう昨日のこととなるが、此度の出陣の折に受けた軽い損傷の為に彼は手入れそれ自体は数刻前に済ませている。おかしいと影を見やる彼女は気付く。ゆらゆら、ゆらゆらと揺れているのは灯火の所為ではないのだと。
 障子戸に手をかける。
「歌仙、一体――」
 どうしたと問う唇は噤まれた。
「……ぁあ、すまない。どうも具合が優れなくて……」
 どこか損ねてはいないだろうか、本性の。そう紡ぐ彼の頬の紅さや汗の浮いた額や首筋に、審神者は彼が差し出した本性となる刀を見やることなくさっと身を寄せ手の平触れた。
「おや……きみの手は心地いいね」
 頬に沿わせた彼女の手の平に擦り寄るような彼に審神者は心中呆然と目の前の事象に呟いた。刀剣男子も風邪を引くらしいぞ、と。
「手入れで、直るのかな……?」
 念の為と歌仙より本性を預かり抜き身、損傷がないか確かめるが、その刃に欠けは一つたりとも見当たらぬ。代わり、歌仙兼定両者を見やる審神者の手の心地よさへ名残惜しそうに伏し目おぼろげ見やる人型の歌仙兼定がいた。
「風邪薬を用意するから、飲んで。それで、……手入れもしておこう」
 持って来るから部屋の内へと言う審神者の言葉のままに腰を上げた彼は、軸を揺らしてふらふらと。風に揺れる柳のようだといえば雅だが、足元の覚束無いそれは大変心許無いものであった。心配げな視線を一つ、畳を踏んだ彼の足を見てから審神者は薬と水を用意せんと厨に向かった。
 足早、構えた物を手に戻れば熱そうに寛げた襟元を手の平扇に仰ぐ彼の姿があった。首筋より鎖骨へ胸元へと流れる汗が一筋。盆の上、湯飲みの中の白湯が水面跳ねた。
「大丈夫……? 薬と、白湯、飲んで」
「熱い……この身を熱しても打ち直せないというのにね」
「ああ、もう、兎に角これ飲んで」
 差し出した物をぼんやり見やって言う口振りに良いから飲めとその手に薬と白湯の入った湯のみを押しやった審神者は、手入れをと早に準備を済ませる。
 見やった歌仙が億劫そうに薬を白湯で流し込むのを見てから、本性である歌仙兼定を、その刀身を鞘より抜き出した。静やかな音が宵に心地好く響く。
 刀の手入れの手順に迷うことはない、それだけを審神者として過ごしてきたのだから。それは此処にいる歌仙を初期刀としての短くはない期間、その中でこんなことは始めてであると刀身を見やっては歌仙を見る。本性、即ち己自身を手入れされるその感覚が心地いいと口辺に笑みを浮かべている。しかしその笑みが平時のものより艶やかなものである、と審神者はごくりと唾を飲んだ。
「っ、さ! 終わったよ! 後は、部屋に戻って寝ないと」
「……このまま? なんだか……先より、寧ろ熱いんだが」
「夜風に汗が冷えたのがいけないのかな……? でも薬が効いてくるだろうし、寝ないと直るものも直らないよ」
 手入れを終えた歌仙兼定を彼へと返し、手入れ道具を手早く片付ける審神者を他所に歌仙は熱い、と一言息を吐いた。それに歌仙へと向き直った正座の審神者は彼の額へ頬へと手をやり、様子を見て明日の朝にこんのすけでも呼び出そうといった。互い頷く。そうしてから、審神者の言葉のままに歌仙は彼自身の寝間へ向かわんと腰を上げようとしたのだが、熱に浮いた体はそんな些細な動きにさえ支障を来たす。つまり、彼はふらりと崩れ倒れたのだ。審神者の方へ。
「っ痛い!」
 歌仙の手からは彼の本性が放り出され、それは畳の上を滑って襖へ当たるようにして止まった。
「ああ、……すまない」
 正座のままに僅か背を仰け反らせるようにして歌仙の体を支えた審神者。それに彼は謝るがそれまでで、しな垂れた体をどうとすることはない。息苦しいと零された彼の熱を孕んだ吐息は審神者の耳をくすぐり撫でた。
「ぁああ、歌仙、辛いんだね! よし、寝た方が良い、早く部屋に帰らねばねっ……!」
 歌仙の両肩口を自身の手の平に押してみたが、文系名刀である彼の体躯はそれにそぐわず審神者には押し返せない。所詮は自称である。いや寧ろ歌仙自体が審神者の体に縋るようにしているからその身を離せないのだ。
「……ひやりと、きみの体が心地いい」
 吐息だけでなく、自身の耳をくすぐる彼の声音に審神者は肩を跳ねさせるだけでなく、己の背を下から上へ撫で上げるような震えを感じた。
「熱の塊になった気分だ……」
 歌仙の首筋に汗が流れ、それを審神者は視線で辿る。と、その審神者の視線の先の己の汗に歌仙は気付いた。
「……これでは、雅じゃないな」
 苦笑いを一つ、手拭いを自身の懐に探す彼の手は寛げられた前をさらに乱すだけに。凡そ熱の為に思考がおぼろげになっているのだろう。寝衣の懐、手拭いは構えていないはずであるから。
 そうしてその手に探し物を得ることができなかった歌仙はまた審神者へとしな垂れた。彼の普段より纏っている上等な香の香りと、彼の持ち得る香りが混じり合ったものが審神者の鼻先を撫で肺を満たすものだからその頬を熱くもする。
 これは心臓に悪い。大変悪いと、審神者はその身大きく身じろいだ。
「……、っん…………」
 唐突に低く短く零された艶やかな歌仙の声が、審神者の脳を急かした。
「っぁあ!?」
「ぁ、っく…………!」
 だから、慌てて距離を取ろうと動かした審神者の膝や太股が触れてはいけないものに触れてしまったのだ。びくりと背を審神者の方へ丸めた彼にその身後退するのも止められた。だから、やはり歌仙は審神者にしな垂れたままだ。
「いけない子だね……」
 紅い頬、潤んだ目。欲を孕んだ確かな顔。耳元に零された吐息交じりのそれを笑い飛ばすことなど、今の審神者にはもとより無理な話であった。

 審神者部屋にあるまじき淫靡で粘着質な水音が其処に響いていた。くちゅくちゅという音は歌仙の男性器を手にその根元から先端までを何度と行き来させるそこから、審神者の手の内からだ。鈴口から堪らず零れ出る透明な液が滴り音をよりぬちゅぬちゅと淫靡なものにしていく。愛撫を受けているのは歌仙だけであるというのに、審神者は自身の息が熱く短く切羽詰ったものであると目眩を覚える。これは自身の意思ではない。意思ではないのだと己に言い聞かせ、気を紛らわせる。
「っひ!?」
 ぺろり、と歌仙は審神者の耳を舐めた。そうしてから舌先で耳の輪郭を辿るようにして遊び、唇で耳たぶをはむりと食んだ。肉で遊び歯先でいたぶるような甘噛み、その感覚に堪らず歌仙を扱く審神者の手が止まる。そうすると歌仙も食んでいた耳たぶを解放して、その耳元へ吐息を触れさせながら言うのだ。
「主、手を……」
 そう乞われたままに、心中でひぃひぃと悲鳴を上げながら審神者は手を動かすことを再開する。水音もまた部屋にくちゅくちゅぬちゅぬちゅと響き始めた。
 熱い、自身の体も歌仙の体も熱い。自身の手で擦っているそれが何より熱い。と、審神者はその場所を直視できぬまま俯いた視界の端に捉えるぐらいで行為を続ける。確か見えずとも響く、審神者の耳を蹂躙するかのように音は。
「ふ、……ぁ……っ……」
 歌仙の漏れる声、審神者は音無く息を呑み込む。熱い、ひやりと心地いいと言われた己の体はとてもじゃないが涼を取れそうもなかった。
 ちらちらと視界に映るそれの凶暴さに慄いているのだ、自分は。と、審神者は酸素の薄さに喘ぐ。太く、硬く、筋が浮いたそれが、自身の手の内にあるそれが、自身の近侍の歌仙のものであるなど、と。
「はぁ……」
 悩ましげな男の吐息が審神者の耳を撫で下ろす。審神者は自身の体を撫で下ろされたような、愛撫を施されたような心持だ。ちらりと、審神者は歌仙へと視線を向けた。彼は伏し目、ただただ審神者の愛撫を甘受していた。ふと、審神者の視線に気付いて彼は確か視線を上げ、その目が艶やか笑んだ。ので、審神者は慌てて目を逸らした。
 そうして自身の手の内を押し広げるように大きくなる歌仙の男性器に、審神者はいつしか視線を直に向けていた。やわく握り込んだ手を根元から先端に滑らせて、雁首に仄か引っ掛かるようにして過ぎ去り先割れを指の腹に押す。そうすることで出る歌仙の詰まり上擦った声に、この男への愛しさ胸を焦がす。
「ぁあ、歌仙、どうしよう……!」
 何に一番困っているのか分からずに吐いた審神者の言葉だ。眉尻を下げた困り眉のままに彼のびくびくと先走りを零すはばかりの無い猛りを只管に自身の手で扱く、審神者の言葉。審神者の手の内、彼の肉が僅か跳ねる。
「っ主……口吸いが、したい」
 口吸いとは、何だったか。審神者は目下の行為に思考能力の全てを傾けていた為に、歌仙の指が己の顎先をくいと持ち上げそのままに唇を押し付けられたのは不意打ちであった。
「ぁ、ん……ふ、ぅ……は、ぁ……っ……!」
 これではまるで食べられるかのようだ、と審神者は思う。唇同士を寄せ合わせるに止まらず歌仙の上唇と下唇は審神者の唇を食み、舌先でこじ開けた口内を撫ぜる舌はそれ自体が一つの個体のようで。逃げた審神者の舌を追って絡め取りそれもまた愛撫であると歌仙が審神者の体をびくびくと震わせる。
 舌が気持ちいい。とても、言の葉で言い尽くせぬ程に。全神経がその場所にあるようで、そうしてそれを好い様に弄られて堪らないと審神者の手は指先を震わせるだけで機能しなくなっている。歌仙はその手を口吸いを続けるままに己の手の中に重ね収めた。男と女、対照的な手だ。審神者の手に自身を握り込ませたままに己の手を重ねた歌仙は昂りを追った。
 上手く呼吸ができない霞む思考の中でも審神者は自身の手を使って己を扱く、歌仙のその手の力強さに驚いた。握り込みも強く、その擦り上げの早さに、敏感な部分をそう乱暴に扱って大丈夫なのかという心持、じゅっと吸われた舌先に腰から力が抜けて思考も奪われる。手からも力がより抜けたが、それも歌仙が自身で補ったので何も損なうものは無い。水音はより激しく、歌仙の体と息はより熱く。審神者もまた熱を昂ぶらせていく。手淫の合間も口吸いの攻め手を緩めぬ歌仙に審神者はただ翻弄される。
「……ぁ、かせっ……」
 酸素を乞う合間、心許無い響きでも審神者はその名を零した。もう許してくれという意であり、もっとより一層を求めるものでもあり、恋しく愛しいという感情を孕んだものでもあった。綯い交ぜに、審神者はただただ喘いだ。それに歌仙はより気を昂ぶらせた様子であった。そのままに審神者の手の平越しに己を扱く手を休めぬ。それは歌仙の手の動きではあるが、自身を擦る肌は主のものであると彼はより興奮していた。
「あるじ、あるじっ……! は、ぁ……うっ……!」
 竿の根元から雁首までを強く擦り上げた歌仙は審神者の手の平越しに先を握り込み、ぶるりと体を震わせたままにびゅくびゅくと精を吐き出した。その吐き出しは多く、その間震える歌仙の悦とした吐息もまた長く深い。合間、跳ね上げに合わせて彼の音にしかなっていない声も跳ねる。震えも、肌を打つ精液の感覚も、熱も、全てが自身の手の平の下にあるとぼんやりした頭でも審神者には分かった。とても、生々しく分かった。審神者の鼻先を雄の香りが撫でていた。
 熱は失っていないがくたりと芯を失くし己の手の内にある歌仙に審神者は喘ぐような呼吸を繰り返す。体が、とても熱かった。まるで自身が一度達してしまったかのような気もすると審神者は自身の内腿を擦り合わせる。潤みは手の平のそれと言わずもがな。
「かっ、歌仙……」
 その自身の体の熱の覚えに歌仙の顔を見やれば、彼は己にしな垂れたままに瞼を閉ざしていた。その伏せられた眼差しと微か震える睫毛にこの付喪神の美しさを審神者は改めて認識した。と、そこで気付く。穏やかな彼の寝息に。
「えっ、え? えぇ…………」
 歌仙の体も熱く、審神者の体も熱い。されど審神者は熱を沈める術を得ることのできぬままに呆然と言の葉を流し続けた。朝焼けは、未だ来ぬ。

 夜があれば朝がある。夜は長くとも朝が来ると寝足りぬ審神者がされど目覚めたとき、自身の枕元では正座で深くに腰折り頭垂れる姿があった。歌仙兼定だ。寝冷えてはならぬと、後処理含め身を清めて布団に寝かせてやった、歌仙兼定だ。彼の寝間まで引き摺って行くわけにもと僅か隙間を開けて同じ布団に寝た、歌仙兼定だ。
「……お、おはよう歌仙」
「主、どうかこの首もらってくれ」
 いや、いらないよと審神者は深く頭垂れた彼の首ではなく旋毛を見る。歌仙は顔を上げること審神者の顔色を窺うこともなく、その場所へと言葉を染み込ませるかのように言う。
「……僕は、……熱に浮かされたとはいえ、何てことをきみにさせてしまったんだ……首を、……首を……」
「いや、やはりいらないよ……」
 だいたいそんなもの貰ってどうしろと言うのだ、審神者部屋に飾って置けとでも言うのか悪趣味なと審神者は彼の旋毛にできるだけ明るく笑ってやった。そうして戸惑う手だが、それを髪に触れるようにしてから問う。
「体の具合は、どうかな?」
「……問題ないよ、いつでも首を差し出せるさ」
「あ、そう。首はいらないけど……熱が下がったなら良かった」
 首はいらないからそうも頭を垂れるのは止めておくれと歌仙の頭を撫でる審神者に、彼は肩を小さく震わせている。本人が良いと言うに彼は彼で気が一つも治まらないのだ。
「……ぁああ、やはりきみの為に何かしないと僕の気が治まらないっ……!」
「だからと首はいらないって、まったく……体調が回復して良かったよ。そうなれば熱が治まらないのはこっちだよ、まさか寝られるとは思わなかったし」
 あの後私がどういう気持ちで、と軽い気持ちで紡いだ審神者は、頭に乗せられた手すらも払う勢いで顔を上げた歌仙と目を合わせた。合わせたその目同士にあっ、やばいと思った。彼のその眼差しには静まっていたはずの熱が、孕まれて、いる。
 
 この夜、めちゃくちゃまぐわった。