溺れる刀


「歌仙は首が好きなのですか」
「何だい、いきなり」
 宵へと向かう黄昏色は実に美しく入り乱れている。夕影に化粧、朝昼に目にするよりも艶やかその唇が笑んでいると僕は見た。開け放った障子の前に正座、崩されているのはきみの脚でその白肌も今や差し込む黄昏に彩られているから、これならば宵を迎えた方が目に毒ではないと誰かが言う。
「名の由来と……首を差し出せ、と」
「首級を得るは普通のことだ、僕が刀であった時代は。名は、僕が自身付けたわけではあるまい」
 きみの爪先が小さく震えている、自身の鼓膜もまた。きみが笑った為でそれは自身の初陣の折でのことだと僕には分かっている。一年と少し前だ、首級を持ち帰りきみを昏倒させたのは。思い出せばどうにも心、苦虫を噛み潰す。
「そう、では首に固執しているわけではないのね」
「首に固執などしていない」
 傾げた首に髪が流れ、やわらかな芳香が僕の鼻先を撫でる。仄かに甘いようなそれはその白く細い首筋からやってくるのかと目をやって、逸らした。宵が徐々に本丸へと下りてくるのを感じる。
「私を三十七人目にするかと」
「忠興が僕で斬ったのは家臣だ、きみは僕の主だろう」
 ゆるりと瞬きするごとに、肺が香に侵されていく。呼吸する毎に刃生を刻み、犯していく。
「歌仙」
「何だい」
 僕の片手を取り自身の首に触れさせるきみに、近侍として何ができる。
「何も思いませんか、首に」
「何を思えばいいんだい、首に」
 指の腹に肌の下、血の管の中を流れる血潮を感じぴくりと跳ねる指先よ。
「さあ……斬りたいとか、絞めたいとか」
「思わないな」
 もう片手は自身から。やはりきみの首は細い。僕の手の中に収まるそれの無抵抗さにほとほと呆れ、どうしようもないと笑ってみせないと偽りはやってこない。
「歌仙」
「首に、固執しているのはきみだろう」
 指の腹で喉骨を撫でる。促すようにきみは眼差しをその瞼で遮った、僕の姿までをも。僕はそれが口惜しい。
「僕が固執しているはきみだというに」
 骨を押す、徐所に力を込めていくそれで。細心の注意を払い、手遊びに砕いてしまわぬように。きみの喉が甘く鳴いた。
「苦しいかい」
 もっと強くと縋るその手は何振りの刀の袖を引いたことか、僕は知らない。知らない。知らないと僕は、喉骨を解放摩るだけ。どうしたのかとその眼差しにきみが問うには、目が僕を見るだろう。さすれば僕が今は在るだろう、きみよ。
「苦しいのは僕だ。ただきみが苦しくさせる」
 酸素を奪えというなら奪ってやろう、いらぬというなら僕にそれをおくれ。苦しいのは僕であるから、きみは溺れてしまえとただその唇にきみの酸素を奪ってみせよう。
 もう、黄昏は去ってしまった。