──契約者が野垂れ死んでいた。
 荒川の主のひたりひたりとした歩みがぴったりとその濡れ縁で止んだのは偏に、その降ろした眼差しの先に横たわった人間の為である。人間、陰陽師、契約者、呼称は幾らかあれど、その川の主が囲った存在と表せば唯一であった。
 契約者が縁側で野垂れ死んでいることに眼差しを落とし静かに、それでいて確かに一度扇子をわずか開き閉じぱちりとしたのは呆れか苛立ちか、はたまた別の感情か。
 兎も角、契約者は荒川の主の眼差しの下で野垂れ死んでいた。とはいえ、本当に心の臓が止まっているかといえばそういうことではなく比喩の表現であり、海豹のようにも横たわった彼女は当然と呼吸をしている。
 水底にも似た色の眼差しが瞼に遮られ、しばしの後に飲み込み切れなかったかのようにふぅと吐きだされた息がもしかしたら契約者の体に降りおちるのかもしれなかったが、それよりも早くにその場に、契約者のかたわらに彼が胡座をかいた為に分からなかった。
 少しの酒のかおりが荒川の主の鼻先を横切ったようだ。
 なるほど、節度を弁えぬ呷り方をし、酔いが残ったままで放浪。後に此処で野垂れ死んだのだ。
 もし契約者が起きている状態であれば扇子は彼女のその額を小突いて酒精の残った脳みそを揺らしていただろうが、今はただその持ち主の膝に突き立てられるようにして静かにしていた。
 何処ぞの誰かのことを知ってか知らずか寝入ったままの契約者は身じろいだ、それにあわせるようにかちゃりと鳴った。荒川の主の眉間の溝も深まった。彼の眼差しの色とは正反対の赤縁の視力補正器具、眼鏡はただ呑気に陽の光に照らされている。
 荒川の主の指先が契約者の頬に触れたのは、その眼鏡を外した為に他ならない。
 彼にとってはその指先で摘んだものに興味はない。だが契約者がそれを大事にしていることは知っている、よく何処ぞにぶつけたり置き忘れていたりもするが。
 既に寝返りで何度か縁側を打ったであろう眼鏡は、そっと荒川の主の袂に仕舞われた。
「愚かな人間め」
 もう打つものも無いので良いだろうとばかりに寝返る契約者、その体が庭の方に転がるのを静かに制した荒川の主の唇からこぼれた感情であった。