手に余る誘惑


 背筋を下から上へと撫で上げるようなぞくぞくする寒気とは裏腹、私の唇は引き結ぶこともままならず熱っぽい色を孕んだ息を漏らして止まない。自身の唇を噛み千切らないにせよそこへと立てた歯では「ふッ……ぅ……」と漏れる情け無い声を抑え込めることは難しいし、正直その自傷行為に似たそれで得てしまう刺激さえ甘く響くのだ、今は。「……はぁ、……」と、溜息のような音の息は嬌声に成り果てて自身の肌を滑り落ちていく。首元から鎖骨を辿り胸部へと。皴一つなかったシャツは今はだらしない皴を刻んで尚且つ釦一つさえ留められていない。留められていない、と表現するのは変か。自分の服装のことだし、つい数分前にそれは外されたというわけなのだから。
 ツゥ、外気に晒されている私の肌を愛撫するように滑ったのは無骨な男の指先――ではなく鈍い色を放つナイフの切っ先だ。今は私の鎖骨を辿るその刃は皮膚表面を滑るだけで傷一つ付けることない加減、絶妙といえる手捌きで扱わられる。
「――っさすが、……ナイフの扱いでジェラートの右に出るものはいないってわけ?」
 皮肉を込めた言葉と視線で目の前の彼、ジェラートへと言ってやれば、間違っても豊かと表現することの出来ない自身の胸の膨らみへとその切っ先がやわく埋められた。――それでも肉を切ることは愚か皮膚を裂くことはないし、厭味の一つでも零したいはずの私の唇からは代わりとばかりに濡れた声が零れた。
 自身の口を覆いたい、がその行動を取るのも今の私には無理な話で。後ろ手に結ばれた紐が手首に擦れて痛みと、覚えたくはない悦とした感覚を身体へと伝えてくる。手の自由は利かないが足の自由は利く。唇を吊り上げてにまにまと笑むそのジェラートの顎を下から蹴り上げてやりたい。が、悔しいかな、その行動の末の構図が容易に思い描けてしまうのでその行動を取ることも叶わない。そうして私は座り込んだままに憎らし気に睨んでやることしか出来ないのだ。
「結構我慢強いなァ……直ぐに啼き喚き出すかと思ってたけど」
 座り込んだ私と視線の高さを合わせるためにジェラートは、しゃがみ込むではなく態々四つん這いで覗き込む様な姿勢を取って顔先を向けてくる。後数センチその鼻っ柱が私へと近付いたら噛み付いてやろう。切羽詰った吐息を零しながらもジェラートの鼻先へと視線を向けていたのだが、攻撃範囲内に入る前にジェラートは距離を詰めることを止めて笑い声を一つ零すに至った。
「でもいっか。うん、イイ」
「互いに、な」
 ジェラートの四つん這いのその身体へと覆い被さるようにして言葉を繋げたのはソルベで、こいつもまた私の鋭い視線を受けるに値する男である。つまり、この目の前の男二人が今の状況を作り出したに他ならない。――喉の渇きを訴えた相手に手渡す飲み物に一服盛るだなんて予想してなかったのだ。メローネ辺りなら兎も角、さらににんまりと唇を吊り上げるジェラートでもなく、さも何も無いといった風に自然な流れでソルベの手から受け取ったグラスの中の液体がまさかこのような結末へと至るなど、分かるものか解りたくもなかった。
「……絶対、許さない」
「そんな潤んだ目と紅潮した頬で言われても興奮するだけだってぇ」
「当然、ソルベも、同罪だから」
「そうか、楽しみだ」
「ほんと、……絶対に仕返しするから……っひぁ!」
 決意めいた言葉は最後まで口のすることが出来なかった。にんまりと笑うジェラートの所為だ。その手にナイフを持ったままで無遠慮に胸を揉んできたから、到達するには至らないまでも焦らすに焦らされた身体では素直な反応を返すしかない。
「やッ、やめ……!」
「止めるわけがァない。……小振り」
「殺す……!」
「そういう眼で見られるのもなかなかに良いもんだ」
「だねぇ。と、いうわけでヨロシク?」
 また少しだけ二人との距離が縮まった。何を宜しくされたのか定かではないままでその鼻先へと噛み付くことをしなかった私は目を向けてその続きにぎょっとした。
 前提としてジェラートとソルベの体制は前述の通りで、ソルベがジェラートの耳を食んだ。それが始まり――二人に、とっての――の合図であったようで、ソルベの手が慣れた手付きで緩めにかかったのは彼自身のベルトではなく、覆い被さった相手つまりジェラートのもので。手を差し込むに充分なゆとりを作ったならば次の行動は想像に容易い。
「なっ、何やってんの!?」
「分ッかんないかなァ?」
「分かるから言ってるのよ!
「じゃァ、話は早い。その眼、逸らさないでね?」
 ギラギラと獣の眼をしたジェラートがナイフの切っ先を私の眼球に突き立てないまでもその直線状で差す。視界の内、彼と共に入っているソルベもまた同じような眼差しを以て私を見る。喉の奥から零れ出した声は多分私だけのものじゃない。
 脅されたとしてもナイフの切っ先に確固たる強制力は無かったはずだ。だから、外せない自身の視線は所詮は卑しい精神のものだとしたら遣る瀬無い。室内に漂う空気の所為だなんて心中の言い訳と共に寛げられた上着から覗くジェラートの肌に体温を上げる自身を笑った。
 自身の耳奥へと滑り込んでくる水音や濡れた声交じりの吐息。伏せた視線が床から上向いてばっちりとあった視線で私は肩を飛び上がらせる。勢い良く逸らした視線は言い訳がきかない。

 唯単に名前を呼ばれただけなのにそろりと戻してしまう視線に、それで良いとばかりに弧を描いた唇が憎たらしい。
「素直なは可愛いよ。勿論、普段の全ッ然素直じゃないも可愛いけどさ」
 語尾に来るか来ないかで吐き出されたジェラートの喘ぎに誰か私の聴覚を奪ってくれと思ってもいない叫びを脳内で上げた。泳いだ視線で合ってしまったソルベの目は何時も通り過ぎて、何もかもが把握されてしまっているようで嫌になる。嫌だなんて、嘘っぱち。
 零れる先走りを擦り付けるようなソルベの手の内から響くぬちぬちと粘着質な音。ジェラートの濡れた吐息は静かな部屋で耳につく。塞ぐ事が出来ない耳は聴力を鋭くし、より鮮明に。視界の端に追いやることが出来ないそれが唯一ぼんやりとしている意識の所為で視線を釘付けにする。言い訳を吐くのは胸中のみだ。直接何かをされているわけでもないのに、確かに私自身の呼吸は荒くなっていた。
「ッ、……やばっ」
 詰まったジェラートの声にハッとなる。ぼんやりとした思考とは裏腹につい凝視してしまったようで。ぱたた、と床を汚す精液に、自身の脳内が熱く沸騰するような感覚の中にジェラートの零した笑い声。
「ふっ、ハ、まだ出すつもりじゃなかったのに、があまりにも熱い視線をくれるもんだから!」
「そっ、んなの……!」
真ッ赤過ぎるだろ!あとソルベも何か言えよ、コーフンしてんのは分かってんだっつーの」
「幸福を噛み締めるのに忙しい」
 軽く言葉を交わしながら服装を正すソルベとジェラートへと視線を向けてまさかと気付く。その予想を確かなものへとするような行動に移ったのはジェラートだ。ぶちりと切れた紐の音に口辺が引き攣る。思わずソルベへとやった視線に肩を竦める彼の仕草。思わず、「嘘でしょ……」と私は呟いた。
「仕返し、楽しみにしてるからさァ。何時でもどーぞ」
 耳へと寄せられたその唇が零す声にさえ身体が震えるのに、まさか生殺しだなんて。待ち望んだ解放の意味が違うのは二人の言うように私が素直じゃないからにしろ、意地が悪いにも程がある。
「信じられないッ……! 馬鹿! 馬っ鹿じゃないの!」
「そんな目で見られるなら馬鹿も悪くねぇな」
「最初からココまで! って、決めてたんだよねぇ。長く楽しみたいし?」
 私が非難の視線を二人へと交互にやる中、囁いたままにジェラートはその傍らの私の耳を舌先で撫で上げた。あまりに近い水音と、熱い舌と不意打ち。思わず上げた声は私を見下ろす視線で捉えていたソルベに食べられた。何度も角度を変えてそれの後に深くなったそれ。ソルベの舌が私の舌を追い立て、捕まり、絡まり、執拗なそれにぞくぞくと背筋ばかりではなく全身を這うその感覚が抑えられない。酸素が足りないと脳が悲鳴を上げて、力の入らない手で抗議したがちっとも状況は改善されない。
「………ッ、ん、……っ!!」
 舌の裏側の付け根を撫でられたその瞬間、何も考えられなくなった。
「……え、待って、今……イッた?」
「…………っぁ、……ん……」
「……
 三人が揃って口を紡ぐ中、私はのったりと自身の顔を両の手で覆った。
「…………続き、するか?」
「ただしまずは一人でやってみてくれる、?」
 体ばっかり素直な私は確かに証拠を零した。