思いを遂げていないのは誰か
麗らかな午後、しっとりと立ち上る紅茶の湯気に睫毛を湿らせるはソファに腰を沈めたままに窓枠から覗く庭園へと視線を向けていた。一片の狂いもなく整備された芝生を見ているわけでも、ましてや晴れ渡った空を見ているでもなしに静かに吐き出された息が紅茶の水面を揺らして映る像を陽炎のようにゆらりと揺らす。
"静"を形にしたような彼女とは裏腹、擦り寄るようにしてへと身体を密着させている大統領夫人――スカーレット――は熱を浮かせた声色を抑え隠すこともなく吐き出しながら疑問も共に吐き出した。
「ねぇえ、あたしはこうして毎月欠かさず一度は訪れてくれるあなたの事凄く好きなんだけど、それってやっぱり理由があってのことなんでしょ?」
スカーレットの指がの手、その皮膚の下に這う血管をなどるようにして滑る。それをちらりと動かした眼球で見たは左手で持っていたソーサーをテーブルへと戻し、右手に持っていたカップもそこへと戻した。そうして両の手を空けたが自身へと顔を向けたの確認したかのように、一度閉じた唇を再度開けたスカーレットは話を続ける。
「勿論、大統領――あたしの夫が招いていてあなたがそれを受けて来てることも知ってるわ。でも、そういうことじゃないの」
ソファの上、両の膝をその腕で抱えるようにして身を縮めたスカーレット。彼女は自身の向けた視線の先、の形が良く潤い、丁度良く色付いた唇が薄く開かれるのを見た。
「大統領夫人――」
「待って、あなたは何時も一度目は夫人呼びするのよね。……スカーレットって呼んで」
「では、スカーレット。夫人を前にして言うには心苦しくまた愚かしいことですが、無礼承知で吐き出す私の言葉に耳を傾けていただけますか」
「えぇ、聞くわ。聞きたいの」
スカーレットの了解を得たは一度目を伏せるようにして頬に睫毛の影を落とし、そうしてから自身へと視線を向けるスカーレットの目を見返した。
「きっと既に御存知でしょうが、……大統領そして私、共にまだ成人していない身ではありましたが嘗てその時僭越ながら異性としての付き合いをさせていただいておりました。その頃より――いえ、きっともっとお若い頃からだったのでしょう。彼は確かにその目に未来を描き胸に愛国心をお持ちでした。それこそが私が彼に惹かれたところで、彼の理想を幼いながらも知った私は思ったのです。"果たして私は彼の人の糧になるか否か"」
「…………」
の言葉を音にせぬままに唇で作ったスカーレットは、彼女が向ける視線が形は己だが真には過去に在ると見て思わず自身の胸元の衣服をその手で掴んで皴寄せた。僅かに寄ったスカーレットの眉根を見ぬままには言葉を続ける。
「私が出した答えは言わずともお分かりでしょう。今こうして招かれる立場にいるのですから」
「、あなたはあたしが嫌い? 邪魔? 煩わしいという視線、嫌いじゃないけどそこにある感情によっては別よ。勿論、あなたがそんな目であたしを見たことなんてないけど……」
「私は別に嫌いじゃあないですよ、スカーレット。貴女は良い人で良い女性(ひと)、そして良い妻(ひと)だ。彼は理想をそれまでとせず現実にしてみせた。そして今、更なるものへと行動している。私が在っては無かった今だ」
「嫌いじゃなくても、あなたはあたしを好きにはなってくれないじゃない」
「好きですよ」
「違うわ。あなたは大統領の糧になりえるあたしに好意を持っているだけで、情愛を向けているのは今も昔も一人じゃない」
の形の良い唇はふふ、と小さく空気を震わせながら控えめな笑い声を零した。スカーレットの見た彼女の目は僅かに細められて切なげで、逸らすようにして見た扉、その三つ向こうの部屋にいるであろう夫を思い描いた。
「大丈夫、大統領はあなたを確と愛しておられます。私が言うことでもないでしょうが……」
言葉尻小さくやがて黙ったの唇は冷め切って香りを飛ばしてしまった紅茶を招き入れた。
スカーレットは時計を見る。もう直ぐに、休憩を終えた夫が寝室より此処へと足を運ぶだろう。その時毎月のように交わされる静かで波風も立っていない平然とした一言二言の会話。その下に隠し遂げられたの情愛。スカーレットは絞まる喉に上手く呼吸が出来ないと僅かに自身の肌をその爪で傷付け、赤い線が浮く。――そして扉は開かれた。