tutti frutii
人には、日常の決まりきった行いというものが存在するだろう所謂習慣のことだけれど。例えば食事睡眠は基本的な事として、寝る前には必ずホットミルクを飲むだとかストレッチを欠かさないなどの人それぞれのもの。勤めているフルーツパーラーで週に一度、五連勤の最終日明日が休日だというその日、勤務終わりに接客をする立場から接客を受ける立場へと代わり、見慣れたメニュー表をじっくり五分は眺めてからこれを頂戴と徐に注文するなど。つまりは、週に一度の職場でのデザートを楽しむのが私の習慣というものだということ。この習慣は二年ほど続いており、私が東方フルーツパーラーに勤め始めた頃からのもの。
「お疲れ様、お姉ちゃん」
「今日も時間ぴったりねつるぎちゃん。頼むものはもう決まってる?」
「ううん、まだだよ。これから」
私の先に述べた習慣というものは最初は一人でだったものだけれど、二年のうち半分はそうじゃあなくなった。東方つるぎちゃん、今は彼とその時間を取るのが習慣になっている。
彼と初めて顔を見合わせたのはまず一年ほど前、店内が賑わっていて幾つもある席の殆どが埋まっていた時。というより、座れる席はなかったのかもしれない。店内を隅々まで見渡したわけじゃあなかったからそこは分からないけれど、つまり繁盛していたということ。「相席いいですか?」の幼い声にメニュー表から顔をそちらへと向けた、そこにいたのがつるぎちゃん。私はその日メロンパフェ、所謂店のイチオシ商品を注文したしつるぎちゃんも私と同じものを注文した。会話に華が咲いたとまでは言えないけれど、重苦しい沈黙の時間がないほどにはお喋りしたはずだ。その会話の中で彼が、その時は彼女だと思っていたけれど、彼が雇い主である東方憲介さんのお孫さんであることを知った。お孫さんは男の子だと聞いたと思ったけれどと疑問符を脳内に浮かべたのも覚えている。その疑問が解けたのがその翌週、つまりつるぎちゃんと二回目の相席をしたということ。座れる席がなかったということでもなかったけれど。何故つるぎちゃんが女の子の格好をしているかは聞かなかったけれど、そもそも人にはそれぞれ事情があるだろうしそういうことにこだわったりはしない、聞かなかったけれど、お孫さんは男の子であってたのかと思いつつ「つるぎくん、また同じ曜日に食べに来るの?」と聞いたら「うん、また一緒にお話ししてくれる?」と返ってきたから「もちろん」と答えた。この一年間にこの曜日に体調を崩したりしたこともなかったから、そういう感じで今まで続いてる。つまりはつるぎちゃんと顔を見合わせてパフェやケーキなどを食べながらお喋りするのが習慣になっていた。ぁあ、三度目の時に会話の途中徐に「つるぎちゃん、でいいよ」と言われたのも覚えてる。
「私はシチリアレモンのグラニテにしようかな、つるぎちゃんは?」
「あたしはメロンパフェにする」
お互いに五分ほどメニュー表を見つめながらこれが美味しそうだけど今日はこっちにしようかなそれともこっちを来週にしようかなどとお喋りしながら決めた。フロアスタッフに注文を告げ、それがくるまではつるぎちゃんが何を折っているのか推理しながらここ一週間のなんでもないようなことをお互いに話し合う。折っている、というのは折り紙のこと。つるぎちゃんの手元でパールのような耀きをみせるそれに、折り紙の紙もいろんな種類が増えたんだなと思う。
「腕時計、かな」
「ぶっぶーッ! 時計のことなんてほっとけぇ~い! 腕時計には小さいよ、あたしの腕だとしてもね」
「ふふ、そうだね」
言われてみれば確かにそうだと私は笑う、どちらかと言えば私はつるぎちゃんの口にした駄洒落に笑ったのだけれど。
腕時計にはならない小さな輪っかを指先同士で摘まんでつるぎちゃんは中央から此方を覗く、その眼差しはテーブルの上に預けている私の手、その指先に。それで、ぁあ、指輪だったのかと遅れて私は気付いた。パール色のような紙もそれでか、と。
「お姉ちゃんは指輪はしないの、例えば、薬指とか」
「あらおませさん、しませんよ」
「恋人は?」
「いたら、こんな素敵な彼と毎週デートしていることを怒られちゃうでしょう。お分かり?」
「そうなんだ……オッケーおけつだよ!」
その後、話はつるぎちゃんのお父さんのお土産へと移った。ロンドン行きでのお土産ではないのに何故かビッグ・ベンを模したボールペンだったらしい。ビッグ・ベンならぬビッグ・ペンだったと手で大きさを表すつるぎちゃんに笑っていると注文したものが運ばれてきた。
店内の空調は整えられているけれど、気温も高くなってきた季節に食べるグラニテは格別なものだ。傍らのブリオッシュの丸く飛び出た部分を指先で千切りながらつるぎちゃんを見ると、メロンゼリーと生クリームの部分を食べながらも此方のグラニテへと眼差しを向けていてその感情に私は笑んでしまう。
「つるぎちゃんグラニテは食べる? ブリオッシュは?」
最初の問いに首を縦に、次の問いに横に。スプーンで掬って差し出せば少量のグラニテは素直に彼の口内へと迎え入れられた。行儀の良いものではないけれどこうした度々の行為は欲する雛鳥に親鳥が与えているようでなんだか自身らのことながら微笑ましくなってしまう。
「美味しい?」
「愛するしかない~、アイスだけにッ!……グラニテだけど」
「ふふ、……グラニテだけど」
「お姉ちゃんは食べる? メロンパフェ」
「うーん……、もらおうかな」
「メロンを食べる姿にめろめろ~ん! はい、どうぞォ」
私がそうしたようにスプーンへと掬われたそれを食べる、勿論初めて食べたわけでもないのに何度食べても新鮮な美味しさを感じるそれはさすがイチオシだと言う他無い。
その後、グラニテとブリオッシュを食べ終えた私が残り少しのパフェを食べるつるぎちゃんを見ているぐらいの頃、不意に彼の目が揺れるような例えば不安を抱いたようなそれが見て取れた。薄く開いては閉じる唇は残りのパフェを食べる為のものじゃあなくて、声にしたい音を発しようとして止めそれでもといった仕草だ。
「ゆっくりでいいのよ、つるぎちゃん」
もどかしいといった様子のその三度目にそう声をかける。きゅっと小さな音が聞こえるような唇の数秒の引き結びを私は笑みの形のままの唇で見守った。パフェグラスへと預けられたスプーンがからんっと音を立て、その少し後につるぎちゃんが傾けたお冷やの中の氷がグラスへとぶつかり似たような音を立てる。
「お姉ちゃん…………、さん」
「なぁに?」
「あのね、結婚してほしいんだ、あたしと」
たぶんというか少しというか、私の胸中に浮いた感情というのは驚きに違いない。少し前に口にしたおまさせんという言葉を同じように口にするにはつるぎちゃんの眼差しが真剣だったもので、数度の瞬きで何を言うべきか考える。
「あたしはいずれ、跡取りになるから、考えることも多い、と、思うけど……」
「つるぎちゃんが結婚できる年齢の時には私、あなたのお母さんの今の年齢ぐらいだと思うけれど」
「知ってる、だから、待っててほしい……」
だからという繋ぎはおかしいと思ったけれど、つるぎちゃんにとって重きは私の年齢ではなく私を待たせてしまうという不安なのだろうと察したそれでそのおかしさもあまり気にならない。ただその真剣な面持ちばかりに目を見張ってしまう。
「さんが待っててくれると思うと、あたしは何でもできると思うんだ……できる。だから、待っててほしい」
自身の年齢の半分もない歳の男の子が抱えるには大きく重く、幾重にも織り重なったような何か。彼はそれが何であるか確かな言葉にはしなかった。それは年齢や跡取りだというそれじゃあないと分かった、それじゃあないけれど何であるかは分からない。ただそれでも、私が彼を待つことで彼の助けになれるなら。そう思わずにはいられなかった。
「ねぇつるぎちゃん、プロポーズに必要なものって何だと思う?」
「えっ」
思えば、つるぎちゃんとの時間は私の習慣のひとつになったのだから、その時間が増えて、いずれ自身の日常そのものになってもおかしくないかもしれない。この考えはただの理由付けかもしれないけれど。
「美味しい食事と楽しい時間が過ごせる場所、それにとっても素敵な指輪だと思うの。足りないもの……婚約指輪、もらえるかしら未来の旦那さま?」
婚約指輪がパールの輝きだなんて素晴らしいことじゃあないか、それは折り紙だけれど。
つるぎちゃんの手によって私の薬指で耀く指輪にお互いに交互に唇を寄せるそれは、人前でできないキスの秘密だった。