Il mio mondo
暗殺チームアジト、リビングだ。そこの三人掛けソファの前で上体を反らして伸びをしたジェラートは、飛び込むようにそのソファへと腰を沈めた。片手に持っていた袋菓子が僅かに彼の手の内で跳ね、そして彼の手中へと戻る。また脇に挟むようにして携えていた雑誌は勢いよく見開かれ、小さな紙質の悲鳴を上げた。
ガサガサと音を立てる菓子の袋、その音に雑誌から顔を上げたのはリビングで憩う所謂先客であるホルマジオ。子猫の魅力を見開きいっぱいに紹介していた紙面から菓子を食らうジェラートへと目を移した彼は怪訝な表情を浮かべた。夕食の時間帯に食している菓子がそれに代わるものなのかという疑問では、ない。
「何時もくっ付いてんのにどうしたってんだあ?」
誰とは言わずとも相手が誰なのかは分かり切ってきっている。頬張っていた菓子を咀嚼の後に飲み込んだジェラートは、ホルマジオに目をやることなく問い掛けへの答えを返しながら紙面を捲った。
「今頃は奥さんのとこ」
「……は?」
ぽかん、と間抜けに口を開けたホルマジオ。彼は何を聞き間違えたんだと数回頭を振ってから、何だって? と聞き返す。そんな彼へと返ってきたそれもまた同じ言葉で、己の聞き間違いではないその内容に彼は驚愕の声を上げた。
「はぁあ!?」
「うわ喧しッ!」
「は、ソルベの野郎妻子持ちかよ!?」
「いーや、今は奥さんとの二人」
「成る程。……違う違う、そうじゃあねえよ。え、あいつ、……既婚者?」
「だねぇ。……何オレ指差してんの。認知済みだってぇの」
「……お前等は本当に謎だな」
「どーも」
ひとっつもホルマジオに目をやることなく問答を終えたジェラートは、色取り取りのケーキで飾られた紙面へと視線だけをやりながら恋人であるソルベ、その人の奥さんのことを脳裏に思い描いた。にんまりと、ジェラートの唇は吊り上がる。
「オレも好きだよ、」
言い放ち、ジェラートは神妙な顔付きのホルマジオを鼻で笑ってやった。
ガチャリ。ソルベがドアノブへと伸ばした腕はそのままに、その扉は音を立てて引き開けられた。彼はそのことに呆気に取られることもなく、開いた分の隙間から此方へと向けられる視線へと目を合わせる。と、ソルベへと視線を向けた相手の声を漏らした笑い声。後のはにかんだ笑みに、ソルベはそこいらの人間では気付かないぐらいで頬を緩めた。彼女のこういう笑顔が好きなのだ。小っ恥かしくて、口には出来ないが。
「ソルベおかえりなさい」
「……あぁ」
久方ぶりに自身の鼓膜を振るわせる彼女、の声に彼はピクリと食指が動くのを感じたが、まだ早いと押し込んだ。欲望もそうだが、もだ。彼女の身体を押し込ませた分自身が扉の内側へと踏み入り、そして手早く後ろ手に扉を閉める。施錠することも忘れない。
人の目に晒される可能性が消えたところで、ソルベは自身の身体を屈めての頬へと口付けを落とした。その擽ったさに身を捩るの腰を逃がさないとばかりに抱き寄せてから、今度は頬ではなく唇に自身のそれを寄せる。久方ぶりなのだ、お熱い交わしは多めにみてやってほしい。
漸くとの唇を解放したソルベは室内に僅かに漂う甘い匂いにすんすんと鼻を鳴らした。甘く、刺激のある匂い。夕食のそれとはまた違う匂いに思う節はあるから、尋ねることはなかった。ただ、抱き寄せたの身体からも同じ匂いがするとその香りを吸い込んで肺を膨らませる。煙草を吸うよりよっぽど健全的だ。
夕食を食べる前の手洗いの際にさえ、はちょこちょことソルベの後を追う。彼女にしても、ソルベと合えなかったその期間が例えようのないほど堪えるものなのだ。だから、彼がいる時には出来るだけ側にいたい。己の後を付いて来る、まるで鳥の雛のようなその姿も愛しく思えるほどにソルベは彼女に熱を上げている。だから、その光景は微笑ましい。
「……変わりはないか?」
夕食のチキンソテーにナイフを入れながら呟くように尋ねたのはソルベだ。穏やかな声量のその問い掛けを聞き漏らすことはなかったが、切り分けた分を口に運んだばかりだったは口元に手を当てて目を笑ませた。
「うん、ないよ。何時も通りで、ソルベがいない間留守を守ってた」
飲み込んでから、何処か誇らしげに言う彼女の様子にソルベは自身の頬が緩むのを押さえ込めずに誤魔化すように切り分けたばかりの肉片を口に運んだ。舌鼓を打っている彼に聞こえるように彼女は「でもやっぱり変わりなくソルベが恋しかった」と言い、彼の持つフォークはカチンッと皿に無機質な音を響かせる。照れ隠しの失敗だ。
それから弾むような会話は無かったのだが、それでも室内を漂う空気は重苦しいものではなく、寧ろ安定でいて心を漂わせるに落ち着けるもので。
ソルベはが自身が離れている間のことについて聞いてこないことを不思議に思わない。はソルベが暗殺者であることを知らない。いや、知らないことになっている。ソルベの事実は彼の口からへと伝えられたことはなく、またこの先一生ないだろう。そして彼女も彼の口からその事実を伝えられないということがどういうことかを理解した上で何一つ聞かない。彼が堅気でないことは疾うに気付いている。それでも、ソルベが敢て言ってこないということは、事実を自身が呑み込むということを望まれていないと解っている。
流れる水の音と僅かに食器同士が打つかる音、控えめに聞こえてくる少し音を外した鼻歌。それらに耳を傾けながら、ソファに腰を沈めているソルベは煙草を燻らせていた。ゆらゆらと揺れながら昇る紫煙をぼんやりと見ながら、偶に窺うようにして振り返り、夕食の片づけを済ませるの後ろ姿へと目をやる。楽しげな雰囲気を背負うその姿にフィルターを噛み潰したソルベは吸うことを止め、それを灰皿へと押し付けた。
「ん、どうしたの?」
泡を流し落とした皿を両の手で持ったままに、自身の側へとやって来たソルベへとは問い掛けた。彼はそれには答えず、ただ彼女の頭を撫でる。きょとんとした表情を浮かべたの頬へと彼が手を添えれば、彼女はその肌へと目を細めて擦り寄るようにした。親指の腹で彼女の肌の滑らかさを感じ、ソルベは満足したように踵を返した。背中で「風呂、一緒に入るか?」と問い掛けるのを忘れない。頬を赤くして押し黙って返事の言葉を返せないでいるのことは振り返るまでもなく分かっている。彼は楽しげに笑った。
勿論、に後からやってくる度胸がないのは分かっていた。火照った身体でバスルームを後にしたソルベは若干そのことに残念としつつも自身と温度差のあるその頬に唇を落としながらも頬を緩めている。僅かに髪の先から伝う雫が彼の首筋を辿り、襟元へと消えていく。温まった体にその分血色の良くなった肌。それへと目をやったは少し恥かしげに俯いてから、上げた顔で返すように彼の頬へと口付ける。もう少し、もう少しと触れ合いたかったが、それでもソルベは彼女を送り出した。やはり、もう少し触れ合いたかったが。暖まった
火を灯すことなく煙草を指先で弄びながらソファに腰を沈めるソルベはちらりとやった視線の先、置時計や花瓶へと思いを馳せた。にしたら本当は写真立てだかを飾りたいだろうに、写真の一枚も共に撮ることが出来ずそれは叶わない。また贈り物など自身の専門外でいて、先に上げたような素っ気無いものしか渡せていない。それでも、贈ったそれに花を咲かせるように笑んでくれたは今も記憶に新しい。
カチャリ、と音を立てた扉へとソルベの向けた視線の先では拭ったにせよしっとりと水気を含んだ髪へとタオルを当てながら歩くの姿。彼女はソファに座っているソルベを見て、込み上げたような笑みを浮かべた。ちょこちょこ、という擬音がぴったりのその歩きでやってきた彼女はソルベの横へと腰を沈めて、そっと寄り添うようにその肩を彼のそれへと預けた。
自身へと身を預けて安心しきった表情を浮かべるその姿を見たソルベは指先の煙草をソファテーブルに置き、その指で彼女の髪を一房掬いそこへと唇を寄せる。彼の鼻先を撫でるようにほのかに甘い花の香りが立つ。彼の目下で彼女は幸せそうに笑う。それをジッと見た三秒後、彼の理性は崩壊した。
勢い良く立ち上がったソルベは寄り添うものを失ってあわあわとするの膝裏、そして背面から胴体へと腕を回しその体を持ち上げた。突然抱えられ驚きはするものの安定を求めるようにソルベの首へと腕を回したに彼は満足そうだ。
行儀は多少悪くても仕方が無い。蹴破るようにして足で開けられた扉が壁へと打つかって音を響かせる。それに笑い声を上げる、その笑い声も放り出されるようにして落ちたベッドで彼女の体と共に跳ねた。
シーツへと背中を預けた彼女の上へと覆うように跨ったソルベはその額に口付けてから、着込まれたばかりの衣服の釦へと手を掛けた。
「……なんか、恥ずかしい」
「何を今更」
「……その、……ちょっと太ったかなって」
一つ、二つと外される釦には呟くように言葉を零す。釦を外し終え、肌蹴させたそこに視線をやったソルベの唇は僅かに吊り上がり笑みを作る。
「変わりない」
そう言って臍の辺りに唇を落とすソルベには腕で顔を隠した。その腕も直ぐに取り払われてしまったが。
白く柔らかな肌に唇を滑らせるようにしてソルベはの漏らす小さな嬌声を鼓膜へと招き入れた。控え目な膨らみの頂へと手をやって手の内で転がすようにすればその嬌声がだんだんと艶めき立つ。全体を包み込むように掴み、少々の力を込めて揉めば不意打ちのようなそれに一度甲高い嬌声を上げて、彼女は自身の上げたそれが恥ずかしいとばかりに顔背ける。その晒された首筋に誘われるように唇を寄せたソルベは、そこで彼女の反応が喜ばしいと内心では笑みを押し留めることが出来ない。
「ぅ、ん……」
鼻に掛かったような甘い声を漏らすへとソルベがジッと視線をやれば、彼女はその視線を遮ろうと彼の片目をその右手で塞いで笑った。彼もまた彼女の遊び心に呆れたような笑みを口辺に浮かべながらもその少々の余裕を奪うように彼女の脇腹を指で撫で下ろした。ひゃっ、と声を漏らした彼女が彼の片目を覆っていた手でその悪戯な指先を叩く。そうして合わせた視線で二人は噴出すようにして笑い合った。
「色気も何にもあったもんじゃねぇな」
「あらそれじゃあお預けかしらソルベさん?」
「それは酷だ」
「酷ね。どっちに対してかな?」
「俺だろ」
「私も」
「……じゃぁ黙って喰われるんだな」
「っぁ!……この悪い狼め!」
御喋りの過ぎるその唇へと喰らい付くように自身の唇を合わせたソルベはそれと同時に彼女の肌を愛撫するのを忘れない。酸素を奪われるような激しい口付けの合間にそうやって弄ばれれば堪らない。角度を変えて何度も合わさるその合間に喘ぎを漏らしながら肩を小さく跳ねさせるをソルベは確かめつつ、また執拗に求める行為を緩めない。
が酸素を求めるのに精一杯になっているのを知りつつも、ソルベは彼女の胸元から下腹部へと手を滑らせてもどかしそうに擦り合わされるその太股の間へと触れた。ソルベはの唇を解放してやってから、彼女の顔をまじまじと見る。
「随分と、」
「やだ言わないで……!」
触れたままにその指を擦り付けるようにして撫でればぬちゅぬちゅと粘着質な水音が響く。静かな部屋では二人の耳へと届きすぎるその欲情の表れには背を曲げるようにしてソルベの襟元へと縋り付いた。その頬は赤く染まっている。己の首下へと吐息を漏らすその反応に満更でもないソルベは溢れて止まないそれを音が響くように態と掻き出しては塗り込める。焦れったく周りを撫でては思い出したかのように不意に押し潰したり跳ね上げる。はソルベの指に翻弄されるままに彼へと嬌声を零し続けた。
「ぁあっ! やっ、ん」
押し入った中は狭く、とろけ、そして熱い。自身の指に与えられる締め付けを暫しの間享受するに留めたソルベとは裏腹、は彼女自身も知らず知らずにその腰を僅かに揺らして快感を得ようとする。それを見留めたソルベは求められたものをくれてやろうと中を掻き撫ぜてやった。彼女の嬌声が跳ねる。差し入れた本数を増やし、ばらばらと掻き撫でる。は詰めた息のままにソルベの衣服を掴むその指先の血色を薄らとさせ声にもならない嬌声を上げた。
浅く、肩で呼吸をすると自身の指先をきつく締めたそれに彼女の一度目の達しを見たソルベは抜き出した指先で未だ名残惜しそうにひくつくそこを撫でた。平常を取り戻そうと呼吸を整えるに試みるの髪へと口付けそして撫でる。そしてベッドサイドのチェストの引き出しへと腕を伸ばした。
「ソルベ、待って」
「?」
「あの、……」
「どうした」
ソルベの腕へと手を添えてやんわりとその行動を制したは困ったように眉を下げてから、そして気恥ずかしさから顔を俯けて唇を開いた。
「私、ソルベとの赤ちゃん、欲しいの」
震えるの指先に一度視線をやったソルベは伏せられている彼女の目を見ながら問い掛ける。
「……本気で言ってるのか」
バッと彼女は顔を上げた。その頬は赤くまたその目は潤んでいるが、真剣な色がその目にあった。
「うん。……ソルベは」
「いや、俺でいいのか? まともな父親になれるとは思わねぇが。……努力はするが」
「ソルベがいいの」
「……」
伸ばしていた手は当初の目的の物を得ることを止め、が纏う衣服を全て剥ぎ取ることに使われる。彼女と自身を遮るものが無くなるように、自身もまた服を取っ払い無造作に投げ捨てた。そうして一糸纏わぬ肌を重ねて深い口付けを交わしたソルベはの舌を絡め取りながら疾うに猛り立っていた自身を彼女の中へと埋めた。の嬌声はソルベが呑み込み、がソルベを呑み込む。互いが互いを喰らう二人の情事の音が部屋には響く。
「っ、ア! ぅ、あ、はっ、ァん! あッあ、あっ!」
「……ふ……っ、……は……!」
儘に受け入れれば容易く放ってしまいそうで、律動の度に襲う愛撫の如き収縮をソルベは眉根を寄せながらやり過ごした。少し引き抜いては押し込む結合部から漏れる淫猥な水音、情事にしっとりと濡れた肌同士が打つかり合う音。脳裏の片隅では火花が飛ぶ。ぱたたと彼女の腹の上に落ちた汗は何かを思わせる。何度も熱くうわずった声を上げるが仰け反らせてみせる喉の白く浮いた肌。
「っめ、だめぇっ! や、ぁア! ん、ひっぁあ、あッ!!」
「っ、…………!」
全てを絡め取って逃がさないとばかりの最後の収縮にソルベは最奥を突き上げるかのように深く押し込み、そして昂りの全てをの中へと注ぎ込んだ。
の身体、下腹部が喜びに泣き濡れるかのように震える。一切を吐き出し終えたソルベは彼女の中から自身を抜き出し、一度息を吐いてからの顔を窺った。生理的な涙に瞳を濡らしながらも穏やかな笑みを浮かべて彼を見返す。ソルベは一度強く唇を引き結び、そうしてから堪らずといった様子での体を強く抱き締めた。はソルベの腕の中、より幸福を噛み締めた笑みを浮かべる。そこには確かに愛の形があった。
日差しが眩しい早朝も早く、玄関にはソルベとの二人の姿があった。彼が彼女の元に滞在出来る時間は短い。それでも、その僅かでも共に在るためにまた長期を空ける必要がある。二人はそれを知っている。
は扉の前に立つソルベの姿を確認するかのようにじっくりと見てから、頷き、笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「あぁ」
ソルベもまた彼女の浮かべる笑みをじっくりと見てから、頬を緩ませる。
は小花柄、透明フィルムの小袋を差し出すようにしてソルベに見せた。その中に見える菓子の姿が昨日の甘い香りの正体なのだろう。ソルベは彼女の手の内のものの行く末を脳裏に描いた。
「ジェラートさんにもよろしくね」
「あぁ、……あいつも喜ぶ」
差し出した菓子を受け取ったソルベにそのまま抱き付き、もう一度送り出す言葉を口にしたを彼は軽く鼻で笑ってからその腰を抱き寄せた。
「足りねぇよ」
名残惜しむような口付けを繰り返し、気は済まないが解放する。彼女の頬へと唇を寄せてから、漸く己と彼女の体を離した。
そしてソルベはドアノブへと手を掛ける。開けた扉から踏み出した足は外を踏んだ。ソルベの日常は始まったのか、終わったのか。両足で踏んだ世界に彼の一日はまた始まった。