口を衝いて出る


 濃い赤紫と黄緑。二色の豆が乱雑に散らばった皿へと落とされたフォークの切っ先は、それらを器用に避けて陶磁器の面と乾いた音を立てて打つかった。皿に皹は入らない。その代わりというように振り返ったジェラートの視線が、彼の背へと視線を送っていたソルベのそれと一直線に交わった。後、薄く開いたソルベの唇からつらつらと流れる言葉。
「人には得手不得手がある。苦手を克服しろと謳うのは結構だが、自身の得意分野を伸ばし不得手な部分はその分野を得意とする別の人間が受け持つ。そうすることで時間を節約し、よりできた形で物事を収められる事例も存在する」
「互いにフォローし合うってぇわけだ」
「そうだ。幾ら尽くしても不得手は不得手のままの場合だってあるだろ?」
「まァ、あるだろうね」
 うんうんと頷いて見せたジェラートに、緩んだ眉根で満足そうな表情を返したソルベは椅子から僅かばかり尻を持ち上げた。しかし、それを制するようにソルベと対面の位置になる席へとドルチェの乗った皿を片手に座ったジェラートは、睫毛で目元に影を落としながら唇を開いた。ドルチェの乗った皿がコトンッと小さな音を立てる。
「まァ、できないできない言うわりに、やってみたら案外すんなりできましたってぇ事例もあるけどね」
「……それは」
「人は思い込む生き物だからさァ、やる前からそれが駄目だって固定概念を負の概念を基に構築するわけよ。不得手だって主張する奴も、案外得意だって言ってる人間より勝った技量を持ってるかもよ?」
「いや、一度挑んではいる」
「一度だけ?」
「いや、まぁ、確かに、一度だけだが……」
 指がテーブルを打つ代わりにフォークは皿を打つ。ソルベが奏でるそれを右から左へと聞き流しながら、果実の表面を煌びかせるフルーツタルトを無遠慮に崩したジェラートは眉で八の字を描き、唇では孤を描いた。苦笑だ。
「成る程、一度のそれが不得手だと痛感するほどのモノだったと」
「特にそれの事例が古いものだと尚更じゃねぇか?」
「うーん、……過去の記憶ほど改竄され易いものはないしね。でも、時間の経過と共に変わるものもあるわけで」
「例えば?」
「煙草なんて毛嫌いしてたのに、大人になった今はヘビースモーカー。だろ?」
「それは関係ねぇ」
「言い張りたいだけ。味覚の変化のいい例なんだからさァ」
 口元を歪めたソルベは次に吐き出す言葉を思案しているようだ。
 ソルベが次に発する言葉を突いた頬杖で待つジェラートは、リビング入り口へと視線を送った。開け放たれたままであった扉からひょっこりと顔を出したのはメローネだ。彼はスンスンと鼻を鳴らしてリビングに漂う香りの正体を言い当てようとしているらしい。それに唇を開く前に「只の温野菜だよ」とジェラートが答えを口にしてしまったが。
「まだ残ってる? バールに寄ろうかと思ったけど、面倒で結局真っ直ぐ帰って来ちゃったんだ。だいたい財布持ってなかったし」
「無銭飲食かよ」
「それでお縄に就く暗殺者がいたらどんな喜劇だってぇ話。あと、残念ながら二人分かっちりしか作らなかったから、残りはソルベの手元の皿に散らばってる豆だけ」
「ドルチェは?」
「生憎、ジェラートの分しか残ってねぇ」
「それが冷蔵庫を占領してるんだろ?」
「オレがオレのドルチェ達を野郎の腹の中に放り込ませると思うわけ」
「そう願いたいけどね」
 鼻で笑ったソルベとジェラートを交互に見たメローネは肩を竦めてから、毛ほども未練は無いとばかりに踵を返した。どうせ最寄のバールへ向かうことに決めたのだろう。後ろ手をひらひらと振りながら、背中で「豆によろしくゥ」だなんて言い残したメローネに、ソルベは心底嫌そうな表情を浮かべた。
 赤い雫を皿に垂らしたラズベリーを一つ、それに銀杏型にカットされたオレンジ。それらを崩れたタルト生地の残骸と共に掻き集めて口内へと攫ったジェラートは、ちらりとソルベの手元の皿へと視線を流してからカッフェを煽った。今日の彼のカッフェには甘味は一切加わっていない。
「さて、次の議題は?」
「論破出来る気がしねぇ……」
 カツン。ソルベの自信に比例するように、小さな音が弱弱しく響いた。カチャリ。片された皿の上に役目を終えたフォークがその身を横たえる。組んだ指先の上に己の顎を乗せて、ジェラートはソルベと顔を見合わせた。そうして唇を開く。
「あァそうだ、とりあえず無理矢理にでも頬を吊り上げてみるってのはどう? 思い込み云々は話したから、うん、病は気からってやつ。器官じゃァなくて、脳味噌で試してみるってこと」
「病は気から」
「うん、病は気から」
「……違くねぇか?」
 眉根に皺を作りながら未だ反論の言葉を探るソルベに、いよいよ我慢が出来なくなったらしい。キッ、と睨むように目を細めたジェラートは、視線と同じぐらいに鋭い語調で言い放った。
「御託はいいからさっさとしろよ」
 ソルベは降伏の時を悟った。
「……マジかよ」
 カツンッ! 大きく響いた音と共に、赤紫色の豆はその身を貫かれた。
 これ以上の言い訳は、丸呑みだ。噛み砕いたのは言葉ではなく――。
 そうして、ぽつり。
「あ、美味ぇ」
「だから言ったろ。案外すんなり、ってね」
 見守る視線の中、一粒の豆を咀嚼し終えてぽつりと呟いたソルベ。ジェラート、温野菜を作った張本人は満足そうに頬を吊り上げて言った。そうして口内へと掻き込まれる豆達。
「まァ、ジェラート様が作ったものが受け入れられないだなんて端から認めないけどさァ。無理してでも食わせたね」
 苦々しい記憶を頭の隅に追いやってから、ソルベはヒクヒクと引き攣る頬を抑え込めるのに苦労した。豆は今の今まで遠慮していたのだが、それ以上にブチ切れたジェラートは受け入れ難い。