この朝、めちゃくちゃ、えっちした。


「――司書殿、起きておられマスか」
 とても静かな夜に小さく響いた声、私は図書館から借りてきていた本の活字から顔を上げた。コンコンッ、と音が続く。声の主は忘れていたというように声を響かせてからノックを一度、二度したようだ。どうしたのだろう、と思う。その声がどうやら八雲さんだから、わりと夜も遅い時間帯に訪ねてくるのもそうしてノックを後にしたのもどうにも不思議で。
 まぁしかし、そういうこともあるだろうと私は本に栞を挟んで閉じる。開いてますのでどうぞと声かけて、数秒。おや、反応がないぞと思いもう一度どうぞと声をかけたらドアノブが回される気配がし、そうして顔を覗かせたのはやはり八雲さんであった。
「こんばんは、どうしました八雲さん」
「こんばんは司書殿」
 ふらりと部屋に足を踏み入れた八雲さん。ふらりと言うのは本当に見たままのそれだ、八雲さんはどこかふらりふらりとした歩みだ。それでよくよく顔色を窺うと八雲さんの頬はいつもより紅くて、汗の粒が浮いた額や僅かに汗が伝った首筋などが私の目に入りぎょっとする。明らかに、体調がいつもと違った。
「司書殿、どうにも身体の具合がおかしいのデス……。どこか、どこかおかしいところありマセンか……?」
 八雲さんは本を差し出しながらそう聞いてくる。日中に潜書した際の侵蝕は補修のそれで全て元通りのはずだけど、もしかしたら抜かりがあったのかもしれない。私もそうかもしれないと八雲さんから本を受け取り、ページを捲りどこか補修の抜かりがないかと探してみる。その合間にも、八雲さんは苦しいようで時折熱を吐き出すような呼吸をしていた。ふぅ、と吐き出していた。
「おかしいですね……特に抜かりはないみたいなんですが……。こう言ってはなんですが、思い当たる節はありませんか? いつぐらいからですか?」
「思い当たる……特に、ないデス……いつ、……夜、談話室を後にし……どれくらいからか、覚えていマセン……面目ないのことデス」
「いいえ。けれど困りましたね……風邪でしょうか、それならお薬ありますけれど……今夜はそれで様子見をしますか?」
「……、よくないものを、食べたのことかも、しれません」
「よくないもの?」
「正確には、飲んだデス。朧気なのデスが……今思い返せば、飲んではイケマセンのマークが描かれたものを飲んだ気がします」
「……飲んだ、いけませんのマーク、……っ!」
 あっそれは、と覚えがあった。私にはあった。それは、特務司書としての業務とは別に、アルケミストとしての研究の一環で作成していた薬だ。注意書きはしていたけれどやはり、食堂の冷蔵庫で冷却するのはまずかったか! というかあれ、催淫効果の研究のなんですけど!
 しかしあの薬がどのような薬なのかをそれを飲んだ八雲さんにどう説明したものかも分からず、とにかく今私ができることといえば解毒剤を作ることだ。そう、そうだ、作る、作るなのだ、まだあの薬に対しての解毒剤はこの図書館に存在していない。自身の不注意からのこととはいえ、胸中頭を抱えてしまう。
「すみません八雲さん、その薬覚えがあります。私が作ったものです、どのようなものかも分かります。けれど、本当にすみません、解毒剤が今はないんです。解毒剤、作りますので、いっ、一時間ほどかかりますが……解毒と言っても死に至る毒とかではないですからね!」
 聞いてくれているかもよく分からない八雲さんの頷きだったけれど、とにかく作りますと私は彼に訴えた。このような夜更けとはいえ作るしかない。
「研究室まで八雲さんも来てもらえますか――」
 八雲さんの手を取り、部屋を出る。いや、出ようとそう思ったが少しだけ歩いた後私はつんのめった。何故なら、八雲さんが踏み出さなかったから。いや、足は踏み出したのかもしれないけれど歩み出してはいない。私と八雲さんの歩みが比例しなかったばかりの悲劇ともいうのか、結果、二人転けた。正しく言うなら転けたのは八雲さんで、私は巻き込まれただけなのだけれど。
「いっ、痛い……」
 見事に床に倒れた私は、形としては八雲さんが覆い被さっているようなもので、私の背中で八雲さんはなんともいえない低い声で短く唸っていた。こうも強力過ぎてはあの薬はまだまだ改良が必要だな、と思いつつ一向に退く気配のない八雲さんに声をかけることにした。
「大丈夫ですか八雲さ、」
 身じろいだ、八雲さんが。あの、それで、八雲さんがいいや八雲さんのヘルンさんが、まって、待って欲しい、待って欲しい。
「や、八雲さん……!」
 ご子息があたっております、などと言えるわけがない。
「……司書殿」
「はいっ?!」
「一時間なんて、待てません……つらくて、あつくて、……そのようなご無体をなさるのデスか……?」
 八雲さんは私から離れるどころかむしろ、密着してきて。私の耳元に唇を寄せてそのようなことを仰るからもうどうしたらいいものか分からなくて、吐息混じりの懇願が、待てませんと言ったそれが、もう、どうにでもなれと私の逃げ道をなくしていくのでありました。

 くちゅくちゅという音がする。その音の出所が私は目を背けているがまさか、八雲さんの男性器を手にその根元から先端まで何度と行き来させている自身の手の内からだというのは俄には信じがたい。羞恥で死んでしまいそうだ。
 互いベッドに座り込んで、向き合って、こんなことをしている。羞恥で死んでしまいそうだ。
 今は直視していないけれど、勃ち上がったそれは見てしまったしなんなら自身の手がそれに触れる掴む瞬間だって目にした。しかしそれらは自身の意思ではない、意思ではないのだと自分に言い聞かせる。互いに、不幸が重なっただけなのだ。
「司書殿……もう少し、強く」
 ひぇ、と内心悲鳴を上げてそれでも願われたままに心持ち力を強めた。はぁ、と零された悩ましい吐息に思わず八雲さんの表情を窺ってしまい後悔した。この人はなんて色っぽい表情をしているんだ、睫毛が長いなぁなどと余裕めいていられない。閉ざされた瞼が、時折にぴくりとする。扱いているそれの所為なのだろうか、と思った瞬間またどうしようもない羞恥で心がいっぱいになった。
 それでもじっと八雲さんの表情を見ていたのだけど、ふいに瞼が開かれお互いの視線が一致する。思わず盗み見などしていないと顔を勢いよく俯かせた。当たり前だけど、自身の手と、手が掴んでいるそれが目に入った。先割れから零れでた透明な液が滴り、私の手に辿りつくその瞬間も目に入った。
「っひ?!」
 悲鳴を上げたのは目にしたそれらの所為ではなく、八雲さんが私の耳を舐めたからだ。耳を、舐めたからだ。ぺろりと舐められた、と思うとそれだけではなく、八雲さんの舌先は私の耳の輪郭を辿るように遊んだ。追い打ちのように耳たぶもはむりと食まれた。
「ぁっ、やっ……!」
 歯先で甘噛みされたその感覚にたまらず自身の唇が零した音は嬌声じみていて空いている方の手で口を塞いだけれど、八雲さんが甘噛みを止めないものだから声を我慢することができない。とてもじゃないけれどできない。
 くちゅりとした音があまりに近い、耳に舌先を差し込むなんて。
 与えられる感覚にたまらず気付かないうちに手を動かすことをやめていたらしい、耳を苛むことで私がどうすることもできなくなっていることに気付いたのか漸く八雲さんは耳をもてあそぶことを止めてくれた。
「司書殿、手をとめてはイケマセン……」
 求められるままに、また手を動かす。また水音がくちゅくちゅと、ぬちゅぬちゅと互いの間に響き始めた。
 熱い、私の身体も八雲さんの身体も熱い。自身の手でさすっているそれが何より熱い。
「ン……、っ……」
 八雲さんは時折に声を漏らす。低い、男の人の声、それも情欲に濡れた声。ちらちらと視界に映る、熱くて、太くて、硬くて、筋が浮いたそれ。どれもが、八雲さんのものであるなど、信じられなくなる。
 握り込んだ手を根元から先端に滑らせて、雁首に少し引っかかるようにして過ぎ去り、先割れを指の腹で押す。そうするとより八雲さんが声を漏らすことを知った、正直可愛いとも思ってしまった。
「お上手ですよ……、ご褒美を差し上げなければなりマセンね」
 ご褒美、という単語に顔を上げる。自身が何かを期待していることを否定することなどできなかった。
「やくも、さん」
「はい、司書殿」
「キス、……あの……口付け、して、ほしい、です……」
「それでは、どちらのご褒美であるか分かりマセンね」
 このような状態になっているから本当にそうであるか自信がなくなりかけているけれどそもそも、私は少なからず八雲さんを思っていた。好きであったのだ、この人のことを好きだった。だからもう、まるでとろけんばかりの微笑みをみせられたらもうどうしたらいいか分からなくて、思わず顔を背けてしまった。
 八雲さんの指先が私に触れたのはそうなると分かっていたとしても私にとって不意打ちのようなもので、反射で瞼を閉じてしまったけれど結果としてはそれでよかったようなものだ。顔先を八雲さんの方へと向けられて、そうもしないうちに私の唇に触れたのは八雲さんの唇なのだろう。
「やくもさっ……!」
 一度触れてすぐに離れる気配に八雲さんの名を呼ぼうとして、それは遮られる。
「お慕い申し上げております司書殿」
 その言葉を理解しようとして、でもその余裕はなかった。何故なら離れると思った八雲さんの唇は決して一度で事を終わらせなかったから。
 まるで食べられているようだ、と思った。唇で唇を何度か食まれて、それで舌が差し込まれて。自身の意思とは別に逃げた舌だったけれど八雲さんのそれですぐにとらえられて、それでよくわからない。ただ、気持ちよかった。言葉では私には言い表せない、ただまるで全ての感覚がそこにあるみたいで、ただ気持ちよくてそれしか分からなかった。
 ぼぅっとして身体に力が入っていなかった。つまりそれは手にも力が入っていないというか入らないということで。八雲さんの手が私の手に重なって先程までそうしていたような動きをさせ始めてから遅れてそういえばと気付いた、このような状況を忘れるというのも変な話だけれど、それだけもう思考回路は痺れていたということで。
 私がやっていたよりも力が強いもので、早いもので、大丈夫なのだろうかと思った思考もじゅっと吸われた舌先に身体の力と共に奪われる。
 うまく呼吸ができなくてくらくらとする、呼吸がうまくできない所為だけではないけど、くらくらとする。空いた手で八雲さんの服を握り引っ張り、あまり力が入っていないものだったと思うけれど訴えた。それで離れた八雲さんの唇は言う。
「名前をッ、呼んではくれませんか」
「なまえ……?」
「はい、八雲と」
「やくもさん……っ、ぁ」
「っもう一度、司書殿……もういちど」
 名前を呼べば八雲さんの呼吸は小さく跳ねて、それと同じように私の手の下でびくりと小さく跳ねているような感じを覚えた。もう一度と言われ名前を呼べば八雲さんは同じようにもう一度、もう一度と何度と繰り返して、より荒くなっていく呼吸やなくなっていく八雲さんの余裕が分かった。それは私の手を使って行われるそれのはげしさで分かりきったことだった。
「――ッ、」
 切羽詰まったように八雲さんが零した音は日本語ではなくて、八雲さんがなんと言ったのか私にはわからなかった。ただ片手で身体を抱き寄せられ少し痛みを覚えるくらいに抱きしめられ、あっと思った時には私は自身の手の平に八雲さんの限界を知った。びゅくびゅくと吐き出される精液や、震えているような跳ねているようなそれが。射精に漏れる八雲さんの声になっていない微かな声や、ようやく理解したようにやってきた行為のにおい。どれもが生々しくわかった。
 生々しく分かったと同時に、この後のことを予感した。私はこの人に、八雲さんに抱かれるのだなと。
「八雲、さん……」
 呼び縋った自身の声が潤んだようなものであることなど誰よりも私が分かっているようなものだ。
 それで、八雲さんの声が私の鼓膜をくすぐった。声、声というよりは寝息のような気がした。
「……えっ」
 寝息のようなというか、寝息だった。
「えっ?! 八雲さん! 嘘でしょう?! 八雲さん?! ヘルンさん?! ハーン?! ラフカディオ?!」
 まさか、寝たはずなどそんなわけないと思った。しかし結論として、八雲さんは寝ていた。寝ていた。もう一度と返されることないままに呼び方を変えて声をかける私の声が十分ほど部屋に響いていた。無情にも、八雲さんがその夜目覚めることはありませんでした。

 それで、朝だ。自身のベッドで目を覚まし上半身を起こした私が朝一番に見たものといえば土下座だった。もう少し詳しく言うなら、土下座している八雲さんだった。
 着ているものや色々は昨夜私がどうにかしたので特に何かをというより昨夜あったことが分かるようなものはない。八雲さんを彼の部屋に運ぶのは無理だったから床に寝転ばしたけど、それは土下座に繋がらない。つまり、そう、記憶があるんだ。あの薬は事の最中の記憶を奪ったりはしないらしい。
「お、おはようございます八雲さん」
「おはようございます司書殿、申し訳御座いません。切腹、致しマス」
「せっ、切腹……? いえあの、根本的には私が薬を置く場所が悪かったので、すみません切腹はちょっと……」
「それでも、デス! あのようなことを女の方にさせてしまうなど、武士の名折れというやつではないデスか!」
「八雲さん武士ではないでしょう、武士では。……うーん、でも、他の部分には謝ってほしいかもしれないですね」
「他の?」
「まさかあのタイミングで寝られるとは思いませんでした、私すっごくドキドキしたのに。あぁ、この後私は八雲さんに抱かれるんだ……なんてすごくドキドキしてましたとも。その時八雲さんの熱は治まったのかもしれませんけれど、あんなことして私が平常でいられるわけないじゃないですか。ほんと寝られるなんて思わなくて、」「司書殿」
「あっ、はい」
「本日はお暇を頂いておりマスよね」
「あっ、はい」
「司書殿」
「あの、なんで、ベッドに、上がってきたんですか」
「司書殿」
「あのなんで今服をくつろげたんですか、というかあのにじり寄ってくるの何故ですか待って、待って八雲さん、待って、あの、朝です、今は朝です」
「夜ならよろしいのデスか」
「えっ」
「どちらにせよ、このように誘われて待てるはずなどありマセン」
「えっ」
「司書殿、お慕いしておりマスよ。昨夜告げたとおりに」
「八雲さ、」

 この朝、めちゃくちゃえっちした。