花一匁、タクティカル男女の詩


 門野、此方の図書館へとお招きした方々はご存じでいらっしゃいましょう。それは私の夫であった男の名前なのですけれど、あったと申しますのは今現在の私が所謂寡婦という立ち位置にあることから察せられることかと。
 男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く。という言葉がございます。妻を失った男や一人暮らしの男は不精で不潔な環境にあるのに対し、夫を失った女や一人暮らしの女は身綺麗で華やかであるという意味合いを持つ言葉なのですけれどまさにそう、今の私と言いますとまさにこの言葉の通り。夫が在ったその折より、きっと纏う空気というものは花ほころぶものであることでしょう。
 今の私と言いますと、門野と心中に呟いてみてもいっこう他人様のようで、確かに恋愛結婚をしていたその過去の事実というのがなんと申しますか、まるで記憶違いのことのようなのでございます。
 どうしてこうも私自身の心境があの頃と変わってしまったかと申しますと、覚えがひとっつもないとは勿論のこと言えません。例えば好いた人に微笑みかけられた時にとくりと跳ねさせる乙女の心臓のさまは在りますし、そっと頬に触れられれば息を静かに呑む自身が、そうして唇など食まれれば酸素を奪われ尽くす前にくらりくらりと死んでしまいそうになる、そのような心持ちはあの頃となんら変わりがないのです。ただ、そう、この胸を高鳴らせる方というのが今はもう別の方だという他ありません。
 誰かは不義だと仰いますでしょうか、けれど何に一つも道に外れたさまなどございません。夫のある身ならば以ての外でありましても、今この身はただ私自身のもの。いいえ、言ってしまえばこの身はその方だけのものなのです。死人に口なし、と申しましょうか。兎も角、女というのは殿方が思うより幾分も強かであるということです。
 そうして、女というのは、心底に我侭な獣なのでございます。

 紙面に落ちる万年筆の影が宵に向かいつつある黄昏に伸びるそのような頃合い、ひしひしと感じる眼差しを数秒顔を上げることもなく堪え、そうしてそちらを向くほんの些細な兆しを見せてから私は顔先を上げました。私の些細な兆しを知ってさもずっと視線など寄越していなかった、今此方を向きましたといった具合に貴方は私と顔を見合わせます。窓際に身体を預ける貴方の、朝の陽光ではないけれど黄昏色が滲む銀糸というのも目に眩く、私は目を細めながら、会話を始めるつもりがなくともその名を唇より零しました。
「八雲さん」
 私が名を呼んだことにほんの少し目を細めるそれは私が貴方を眩いと見ているのに似ておりますが、その心中、私に名を呼ばれたことを喜んでいるのを知っております。誰かには自惚れ、と思われてしまうかもしれませんが実際そうなのです、八雲さんは喜んでいらっしゃる。女やもめの私に花を咲かせる、その花を食んでいるのは間違いなく八雲さんその人なのですから。それと同じに知っておりますのは、細められたその眼の奥に先程まで燻らせていた感情を仕舞い込んでおりますこと。とある強い感情を孕みながらの眼差しは今はなく、貴方はただ穏やかな眼差しで私を見ております。或いは、穏やかな心持ちを装いながら。
 会話を始めるつもりがないというのは何も八雲さんと言葉を交わしたくないという意味ではございません。ただ、互いの視線を一致させたその瞬間に強く手繰り寄せられるようにしてその腕の中に抱かれ口付けられたなら、名を呼ぶ前に音を口内に攫われたなら、荒々しく唇を食まれたのなら、と、そう思わずにはいられないのです。はしたないと思われることでしょうが、そのようなラブロマンスに惹かれるのは乙女の性と致しますところでしょうか。
「司書殿、本日の研究は終わりマシタかな?」
「はい、区切りがよいものかと」
「確か明日は司書殿の業務もお休みだったことかと思いマス」
「えぇ、特に、外出の予定もないまっさらな休日です」
「フム、それはとても好ましいことデス」
 静かに此方へと歩み寄る貴方は、窓から差し込む夕陽を抜けて黄昏色の代わりに薄影の色に陰り、それはそれはとてもこの胸がどきりどきりとしたことです。それは或いは望むラブロマンスなのですけれど、強引なそれではなく八雲さんはどこまでも優しいお人で、そっと私の手に重ねられた貴方の手というのはどこかくすぐったいもの。十代の男女の、それも初な男女のそれを思い浮かばせることですが、貴方の指の腹はするりと私の手を撫でそうして囁かれる問いというのは形ばかりの問いで真には有無を言わせぬ言葉であると知り私は貴方の手の平の下で期待に熱を上げたのです。
「今宵の時間を頂戴しても?」
 ただ私は頬を紅く染めて俯くばかりでした、胸内に秘めるものありましても寸に取り出せるかどうかなど話が別ですもの。

 私がどのような思いで、考えを巡らせながら、湯に浸かっていたなどと八雲さんはきっとお考えの欠片もないことでしょう。暫しの時の別れを惜しみ離れていた互いの手の逢瀬を楽しんでおります、或いは仄かに響くベッドのぎしりといった鳴き声を聴いて高まった私の体温にシャボンの香りをよりと知っているところ。
「八雲さん、灯りを……」
 私がか細くそう言いますと貴方は唇寄せていた私の手首の内側から眼差しを向け、口辺を緩やかに笑ませながら言うのです。
「それは、惜しいことデス」
 それで眼差しを伏せるようにして貴方はその唇の触りを私の肌に知らせることを再開する、灯されたままに白く浮いて見える自身の肌に私が羞恥を覚えているのを知っている。唇に私の早まる脈打ちを感じて僅かに悪戯な笑み、それが私の心臓を血潮をどくりどくりと慌ただしくさせます。
「でも意地悪は少しにしておきマスね?」
 衣擦れの音、灯りは薄ぼんやりと。互いの姿が見えぬとは言わないけれど、勿論灯りが完全に灯されていた時よりはくっきり見えるものではなくなりました。貴方は本当に優しいお人。本当に。
 八雲さんの指が私の頤を掬い上げるようにして互いは言葉通りに目と鼻の先、薄ぼんやりとした景色を両の瞼の下に追いやった私に私の唇に貴方のそれが触れた。触れるだけのそれが一度、二度、眼差しを閉ざした私が度に仄かにぴくりぴくりと反応するのを確かめているようで、焦れたような私の唇が仄かな隙間を空けると貴方のそれは覆い被さるように或いは喰らうかのようになりました。舌を舌で絡め取られ、互いの合間に湿った水音が響くその喰らわれる行為に私の背筋には言い様もないぞくぞくとした感覚が駆けてゆきます、それは逆さに。
 私の肺の酸素を全て奪ってしまう前に八雲さんの唇は離れ、喰らうかのようなそれなどなかったともいうような、小鳥同士が嘴を戯れさせるかのような可愛いそれを何度か繰り返しました。私の呼吸が整うことを待っていることを私は知っておりますし、貴方の指の腹がするりするりと私の輪郭を撫ぜているのもまた私が落ち着くを促すものであると知っております。私は仄かに浮かばせた涙のカーテン越しに余裕さを携えた貴方の姿を笑みを見ている。
 息を整え、それでも熱を孕んでいるのですが、小さい響きで貴方の名を呼び縋ると私の背には八雲さんのその大きな手の平が回り、支えられながら私はゆっくりとベッドへ押し倒されていきます。シーツに沈む私を私の背を押し返すベッドの感覚というのが逃げ場など何処にもないと知らしめられているようで、はぁと零した自身の吐息が貴方の装いにかかるのを感じました。
 情を交わすことを知っておりましたので今夜の互いの夜衣というのはただただ穏やかに寝る時のそれより酷く心許ないもので、例えば私のそれなど八雲さんが徐に結びをひとつ解せばそれだけで前がはだけるものでした。外気に触れた肌がよりひやりと感じるのは私が予感に熱を上げている為でしょう。
 寒がる私を温める為に、などでは勿論ございませんが貴方の手が私に触れて、それは手の平全体で私の肌を、胸の感触を、知るような触れ方で。これが初めてのはずなどないのにまるで初めて知ったその感触を確かめるような触れ方をするから私はもどかしくて、もどかしくて。胸の輪郭を確かめるように辿り、時折指先をほんの少し胸の肉に埋めるかのようにそうして爪先で引っ掻いて私の肌をぴくりと小さく跳ねさせる。私の心臓はその下にあるのでしょうか、その辺りに八雲さんは顔先を寄せて、唇は肌に触れて、私の皮膚を吸い上げて、ぴりりとした少しの感覚の後には薄らと浮いた所有痕とも呼べるそれを満足そうに見ておりました。朱いそれを指の腹で撫でられながらもう片胸に唇寄せられ甘くいたぶられるのは、やわいそれはいっそ切ない感覚にも思えます。八雲さんの手も唇もそうしてその心も、そのどれもが私を思いやり、どこまでも優しいものであることが私を一等に切なくさせるのです。或いは私の身体を、でしょうか。
 薄影に貴方の顔が陰る度に、その刹那の合間に陰りともある感情を抱いていたならと何度考えたことかしらん。
「ひっ、ぁ……」
「考え事デスかな? 随分と思案耽っておりマスね」
「まさかそんな……ん、ぁ……」
 私が貴方の思いを汲み取ろうと思案している折、貴方は私の眼の奥をじぃと盗み見ておりましたのでしょう、私の余裕めいたものにそれはいけないと私の内腿の肌をするりと不意打ちに撫ぜるもので。言葉返そうとした私の唇は塞がれただ八雲さんの吐息を取り入れるものでした。互いの唇を掠めて部屋の空気に溶けていく僅かな水音というのが、これもまたお互いの鼓膜を震わせるもの。
 くちゅりと、音がしました。それは八雲さんが手を忍ばせた私の下着の内より、と言いますより私が擦りあわせている両腿の狭間よりでしょうか。
「濡れております」
「それは……仕方のない、ことですわ……」
 胸をやわく愛撫されるそれだけであろうと何度と抱かれた夜があればそれが後の肉慾の予感を一斉に引き連れてくるものだから、そうして八雲さんの手は予感だけではなくて今この時も確かな悦を私に与えてくれるものだから。
 私のそれを指の腹に掬い取るようにしながら何度とその場所を撫ぜられると脳裏の片隅が白く霞んでしまう、けれど時折に引っ掻かれると或いは押し潰されるように愛撫されると小さく跳ねる四肢と共に意識は確かなものとされてしまうのです。八雲さんの指は何度と滴りを掬い取るのだけれど私のなかに今は潜り込むことがなくて、それがまたもどかしくて腿を擦りあわせてしまうのですがそこには貴方の手がありますでしょう、そうすれば貴方はそんな私の四肢の訴えを知って仄かな笑みの声を零すのです。私の肌に。低く震えるそれは細波のようで、貴方の心持ちが潮騒のその騒がしさを私に知らせることになったらそれはどのような感じなのかしらとまた思わずにはいられないのです。
「っや、くもさん」
「申し訳ないのことデス。アナタの反応がいじらしくて焦らしてしまうのも仕方の無いこと、なのデスよ」
 八雲さんのかんばせというのはとても整っていてギリシャ生まれのそれも知れますでしょう、綺麗な顔立ちの方ですけれどまず間違いなく男の方です。女の方と見紛うことなどありはしないのですけれどその、確かな男の方の、八雲さんの指その造形を自身の内側で知るというのはとても身体余裕めいておられないのです。
「ん、っ……!」
 ただ一本差し入れられた貴方の中指を締めつけてしまい、節々がその形がより内に浮かび上がれば息を喉に詰めてしまいますわ。八雲さんはそんな私を知っていてそうして見ていながらにゆるりと指を動かしだすものだから、或いはまるで指を私の粘膜に擦りつけるかのようなものですから、詰めた息を短く数度零してしまうのです。微かな声音を伴うそれは所謂嬌声でしかないのでしょうけれど。
「ぁっ、ん、ぁっ……!」
「っ、」
 自身の嬌声の合間に八雲さんの密かな唾を呑む音その喉仏が上下するような気配を感じましたけれど、私の視界というものは生理的な涙が浮かび上がってしまうものですからよく分からなくて。与えられる感覚が気持ちよくて私は貴方の装いを指先に握り込んでしまうのですけれどそれで、ぁあこの人はまだ心許ない夜衣だとしても確かと着込んでいるのだな着崩れてなどいないのだなと知るのです。それで私が貴方の装いの結び目に思わずと伸ばそうとした指先を貴方は察してか、そうしてそれがつまりは私が行為の先をより先をはやくはやくと望むそれになっていることを察してそれでもいじわるく笑むのだから、貴方のその男の人の笑み方はとてもずるい。
「司書殿、可愛らしい指先ですがまだお預けデス。どうか今はワタシの指で我慢してクダサイ」
「あっ! んっ、……!」
 あくまで声色優しげにそう言ってそれでも中指は穏やかと言い難く私のなかを掻くので我慢、我慢とはいったいなんだったかと心中に浮いては弾けていくあぶくのようなものなのです。八雲さんの指が私のなかを押し広げるように掻くようにほぐす、それは気付けば人差し指薬指も。まるで三本の指はそれぞれに別の生き物ように好き勝手に私をあばき、私は貴方の眼差しに自身の情欲を曝けだしてしまいそうになるのでございます。
 弾けるのは私の心中のあぶくだけではありません、互いの肌の合間で水音がそうして肌同士も弾けるような音を発しているもので。今はもう、ぐちゅぐちゅと音掻き立て穏やかとは言い難いその行為が、八雲さんの手が私へとなさっていて、私の腰は浮き上がるまた跳ね上がってしまうのですけれど八雲さんの手の平がそれを押さえ込むような形にもなっていますでしょう、私には悦の逃げ場がひとっつもないのです。
 逃すことのできない昂ぶりがどうなることか、そんなこと分かりきったことでございましょう。極めつけとばかりに不意打ちにふくれを押しつぶされて、私は息を詰めて達する他がなかったのです。
 浮こうとしていた尻は今はくったりとした身体の通りシーツへと預けるしかなく、貴方の眼下に私は力ない四肢を晒しておりました。ただ呼吸を落ち着かせようとする私より貴方はするりと下着を取り去り、それはくたりとした私などほんの些細な障害にもならないといった感じでした、取り去ったそれを少し手荒に行き先も見ずに放る。その手荒さに私はどきりとしたことです。
 衣擦れの音、ほんの僅かにうつろとした意識眼差しで音の方を見ますと八雲さんは装いの結びを自身解いていて、少しもしないうちに私が向ける視線その先には貴方の体躯の好さが知れました。また行為の先をはやくはやくと望む八雲さん自身も。
「司書殿……」
 ねだるような響きを伴って呼ばれ、距離を詰められ、しっとりと湿った互いの肌が触れあいました。八雲さんの身体が私へと覆い被さりそうして唇を吸われ、そちらへばかり意識を囚われていると貴方の手の平は私の腰のあたりをするりと撫でるものだから私はそればかりでいられないのです。
 ほんの少し私の背がシーツに滑ったのは八雲さんの手が私の腰を自身へと引き寄せた為でした、私の脚を自身の膝で割り開き身体をねじ込んでからのそれです。ひくつく私のそこに熱いもので触れるだけ触れ、ぴくりとも動こうとしないのは私が求めるのを待っているのでしょう。焦れているのはお互いさまなのですけれど、私ばかりが焦らされているように思えます。酷いと心中に唇に、それがときめくのでございます。
「八雲さ、ぁっ、ん、んんっ……!」
 呼び切る前に、求めたそれは確かにあったとばかり肉は肉を掻きわけながら私の奥へ奥へとずりずり進むもので、貫かれながら私は背を弓なりに反らせるのでございます。貴方の熱が私を苛むのがとても、とても堪えられないのです。
 指では擦られなかったところが擦りあげられそうして突き上げられ、ひんひんと鳴き涙さえ自身の肌へと零しシーツへと滲ませているというのはまるで無体を働かれているようでけれども八雲さんの手の平というのは私を突き揺らすその間にもこの身体を労ることを決して忘れはいたしませんでした。手の平に下腹部をやわくさすられ、私はその愛撫にさえ嬌声を唇より零してしまう。指の腹がへそに仄かに潜り込んだ折など不意打ちに貴方をより締めつけてしまいました。
「んっんんっ!」
「息も絶え絶えというのはこのことデスね」
「やくもさっ、ぁあっ……!」
 私の体を抱き込むようにし、ぐぐぅと奥に熱の先端を押しつけるようにされれば逃げ場がないままに喘ぐしかなく、その切なさに指先縋れば貴方の唇は優しく笑んでから私に口付けをくださるのでございます。舌がざらりざらりと舌を撫でるのさえ堪らず、私はくぐもった嬌声を八雲さんの口内へと零しておりました。暫し閉ざした瞼に聴覚は冴えるのか、ほんの少し身じろいだだけのそれに響いた粘着質な水音、ぐちゅりとしたそれさえが私の鼓膜を震わせる。水音さえも耳に施される愛撫のようでした。
「司書殿、大丈夫デスか?」
 唇離し指の腹で私の唇を拭うようにして八雲さんは仰います。私は貴方の問いかけにこくこくと首を頷かせ、それでも泳いだ視線というのは求めるそれをよぉく貴方に伝えていることでございましょう。
 上体を起こした八雲さんに腰を支え直されればそれだけに期待、きゅぅと貴方を締めてしまって、私は顔先を向けられる眼差しより逸らしました。
「司書殿、此方を。どうかワタシを疎かにしないでクダサイ」
 八雲さんはそのような事を仰いますが私が貴方を無碍にするなど何にひとつもありませんわ。ですからそろりと顔先を八雲さんの方へと戻すと貴方の眼は頬は笑んで、そうして私を突き揺らす律動を再びとするのです。ゆるりと、或いは時折に強く。
 水音はくちゅくちゅと鳴いたりぐちゅぐちゅと鳴いたり、私の鼓膜を苛む。限りなど本当にあるのかと度に疑いたくなるほどに熱が重なり、ただ重なりいずれ溶けてしまうのではないかと思うほどです。
「ぁっ、あっ! やくもさっ、んっ……!」
「っふ、」
 お辛そうだ、と私に仰る貴方自身の表情を見せてその言葉を儘に返してやりたいような思いもあります。平時の肌の白さは肉慾に紅潮としており眼はぎらぎらと獣めいた耀きを此方へと魅せていますしこめかみに浮いた汗の粒は今、つつぅとその横顔を辿りました。そのような表情を知りますと確か、私はとても辛くなる。胎が切なくて、どうしようもなくなるのです。言葉を、人の言葉を返すのも難しく嬌声ばかりを貴方へと返すのですけれど、八雲さんは互いの繋がりから私の限りを察しているのか、貴方の一度深く吐き出された熱を孕んだ呼吸それが、もう、私はどうにかなる。どうにかされて、しまうのです。
「ぁっ、ぁ、ぁっ」
 ずるりぃと抜きだされる感覚に私の爪先が仄かに貴方の肌に埋まり、もしかしたら傷をつけてしまったかもしれません。けれども私といえばその折、私を苛む八雲さん自身を抜き出されてしまうことかと縋る思いでいっぱいであったのです。決して、全てを抜き出されることはされませんでしたけれど。
 八雲さんの手が、強く私の腿を掴みもう片手も私の逃げるすべをなくしたようでした。それで、貴方の唇は愛しいばかりといった響きで私の名を、名を紡いだのでございます。
「っあ! あっ、やっ! ん、あっ!」
 それで、それで、抜きだしたそれを勢いに全て埋められ、奥を突かれ、その悦が私の脳天までやってきて、けれど何処かへと去る前に八雲さんは寸に腰引きまたと私へと勢いに押しつけて、そうそれは確かに私を絶頂へと追いやるものでした。同じに、八雲さんもまた私のなかへと吐きだしてしまいたいとばかりに眉根を寄せている、情欲に濡れた表情をしているので私は切なくなるばかりです。
 短く連続して喘ぐ私に酸素は薄まり、何処か水音は遠くに弾けたような錯覚、けれどもそれはお互いの肌に押しつぶされました。
「っ、っっ……!」
 上手く酸素を取り込むことできずにいる私はただ、必死に八雲さんに縋りついておりました。或いはそれは貴方をただ強く咥え込んでいるということですけれど。
「ンっ、く……!」
 絶頂に強く八雲さんを締めつける私のそれに、貴方もまたもう堪えられないと私の奥に押しつけたままにその本能に抗うことなく吐精のそれをしておりました。私のなかにびくびくと震えながら吐きだされる精液に、眼差しの先の貴方のそれに私は愛しさでやはりどうしようもなくなってしまうのです。
 今度の抜き出されるずるりとした感覚はその通りのもので、これで今宵は終いなのだと私は悟りました。あくまで優しく、私を労りながら抱く八雲さん。一晩に一度、それ以上はなく。けれど、眼の奥に仕舞い込む燻りを知っている、未だ獣めいた耀きがちらちらと姿を魅せていることに、私は気付いているのです。私は、貴方の思う儘に、して欲しい。いいえ言うなら、優しくされるのも勿論好ましいのですけれど私はきっと、八雲さんに、手荒く抱かれることを望んでいるのでありました。荒々しく、ただの雄の本能を以て私という雌を求めて欲しいと、そう思ってしまうのはいけないことなのでしょうか。
 情事のそれに終いをつけようと、けれどその前にするりと私の肌を撫ぜた八雲さんの指先。それを追うかのような音でした。
「――門野、さま」
 殆ど無意識、けれどそれはきっと意図的に私の唇から零れた声音でございました。八雲さんも勿論その名を意味を知っておりますけれど、この場にて、情事を後にしたとしてもベッドの上で他の男の名を唇にするということの意味合いが分からぬほど私は無知な乙女ではありません。
 燻るどころか焔は忽ち燃え上がった、そうでございましょう。
「やくもさ、」
「今、アナタの目の前にいるのは誰であるのですか」
 私の肌より離れようとした手は、私の腿を強く掴みました。指先が肉に僅かに埋まろうとしているかの如く強さを以て貴方の感情のさまを私へと教えます。ぞくりとしました。
「アナタを抱いたのは」
 或いは、これから再び抱くのは。
 その眼差しの強さに本能からか逃げた腰が、腰骨が八雲さんの手の平に押し留められるのを感じましたし互い皮膚越しにそれでも骨が鈍く擦りあう鈍痛もまた。
 噛みつくような打つかるような口付けの仕方唇を奪われ、私は背でベッドの軋み金切り声を聞きました。痛いと零れた私の声音など聞こえなかったとばかりに事は性急に。殆どねじ込まれるような形で私はまた八雲さんを受け入れたのでありました。それでなかに先程吐きだしたものを掻きだすような掻き混ぜるような激しい抜き挿し、狂おしいばかりの腰の振りたて。腰と腰の打つけあい四肢と四肢の絡めあい、それはそう、私が求めていたものの一欠片。男女のラブロマンスというものでございます。

 そうして随分と長いこと私は八雲さんに揺さぶられ続け、嬌声を零し続けた私の喉は枯れたように掠れた声或いは声にもなっていない歪めいた呼吸の音を零しておりました。
 ゆるして、ゆるしてと譫言のように喘ぎの合間に繰り返す私と、知らぬ存ぜぬと度に攻め手を緩めるでなくがつがつと喰らうかように私を突き上げる八雲さんのそのさまといったら。確かに最後の方は煽るではなく本当にもう、イき狂ってしまいそうで許しを乞うていたような気もしますが、それでも貴方はただひたすらに私を激しく抱いて許しはお与えになりませんでした。
 自身が何度達して、そうして昂ぶりを注ぎ込まれたことか分かりませんわ。気付けば、私は失神するかのように意識を手放していたのですから。瞼閉ざした私の身体を貴方がどう扱ったなど、その唇より紡がれませんと知ることができないことなのです。

 朝、いえもしかしたら昼も近い頃合いなのかもしれません。瞼の下の眼でそれでも日差しの眩さを感じた私は手放していた意識を取り戻したのです、貴方の腕の中で。確かと私をその腕の中に抱き込んでいる八雲さんに身動ぎひとつも難しいものでしたけれど、それでも腕の中より貴方の顔を窺うと勿論貴方は眠っているのですから寝顔なのですけれど、あの雄の本能を曝け出した男の顔というのはまるで今はないもので、いわゆるギャップというものに私は唇をわなわなと震わせる他なかったのです。嫌悪ではなく、ときめきのそれで。
 覚えております。私の腰骨を掴む手の強さ、荒く、熱を抑えることなどできないといった呼吸の音、後背より抱き込まれたそれ、ぱたたと私の背に飛び散る汗の粒、荒々しいそれらが今もまざまざと私の記憶に思い浮かぶことでありました。
 八雲さんに擦りつくようにしながら私は情事を思い出しては、時折は手荒く抱いて欲しいと思うばかりでした。乱暴になさって八雲さん、貴方は私の可愛いお人。
「ねぇ、八雲さん」
 女は、強かな生き物なんですよわかって。