SS詰め2
乱歩/金魚が死んだ。
今日、睡蓮鉢の中に泳いでいた金魚が死んだ。紅いばかりの背中は水底へと向けて、ほの白い腹をお天道様に見せるようにしてぽっかりと浮いていた。ぷかぷか、ぷかぷか揺れていた。なんで金魚というものは死んでもそこに在るのだろうか、海月というものは死んだら水に溶けていなくなってしまうというに。いいや、いいや、水に溶け込んでしまったというなら水が海月のそれだ。いなくなってはいない、けれども目で見ることはできなくなるか。何故、金魚は死んでもそこに目で見えてしまうのだろうか。憂鬱な白さの腹を私の眼差しにばかり見せて、嗚呼嫌になる。睡蓮鉢の傍らに植えた菖蒲の毒か、いいやそんなもんじゃないだろう何故金魚は死んでしまったのだろうか。この世がてんで嫌になってしまったのだろうか。それで死ぬというのなら、何故私は今もこうして酸素ばかりを吸って生きているのだろうか。世の理というものはこれもまたてんで分からない。どうにも、昔と変わってしまったから。
何故だろうか、何故だろう。貴女の骸は未だと其処に在る。装いの紅いそれがまるで金魚の尾鰭のようで、私は憂鬱になる。どんどんと憂鬱になる。金魚は、何故死んでしまったのだろうか。貴女は、何故死んでしまったのだろうか。そうして何故、私は生きているのだろうか。嗚呼、だから人生など二度と御免であったのだ。
乱歩/うまれたがる心/うみたがり、という曲を聴いて
私の此の心、忍ばせたそれを貴女はご存知でないでしょう。此の孔雀青とした眼差しの先に貴女、貴女の眼差しも私へと。視線と視線の一致、繋がったそれに心喜ばせて貴女の心のほんの少しでも得られたのではないかと浅はかになるばかり。
極めて控えめな私の言動、それで知られるなどあるはずもないのに。唇に音紡ぐでなしに求めている、気付いて欲しいと。
会釈するように、片手を胸元頭を垂れた。きりきりと回り続ける歯車が何かが足りないと訴える、ぎりりと歪な音で喚いて。幾ら貴女の姿を脳裏に描いても足りないばかりで、それがほんのりと辛い。
「嗚呼、何とも情け無い……」
情けが無いのはどちらであるか、演技めいて訴えてみれば良いのでないかと思考に愚考。
その場凌ぎなど、悪手であるに。
例えば貴女の首に手を指を触れさせてそっと絞めてしまえば、酸素を奪ってしまえば。胸元にナイフなど突き立て飾り立てれば。黒トカゲ嬢の最期のように毒を飲ませれば。尽きること無い空想の連鎖、疼く胃と脳など知らぬと思い描いたものの先を考えまいとする。
初めて貴女と顔を見合わせた時のことが脳裏にちらつく、眼を逸らすことなどできなかったその瞬間。堕ちてしまったその瞬間、始まったばかりの今生がどろどろと溶けていくような。思い出す度に私の喉元を絞めて息苦しくさせる。
募り募った恋慕のそれ、これが喜劇なら脚本など決まりきっている。あまりに恐ろしい、終幕より遮られることを望むばかり。
貴女とただ笑みをかわす、それだけの日々を描いている。今のようなものでなく、確かな思いを抱きあったそれを。
「乱歩さんはいい人ですね、好きですよ」
「それは嬉しいですね、ワタクシも好きですよ。アナタが」
なんとも白々しい、けれども終幕まで舞台を長引かせたいばかり。しかし、しかしいつまで続ければよいのでしょうか。ただ前を向いているのは顔先ばかり、胸中ではいつ何時と後景を見ているというに。私自身に嘯いて、昨日今日も意味合い違う言葉の投げあいを。
その場凌ぎなど、悪手であるに。
貴女の命を得ることと心を得ることを繋げてしまう、そうであると信じ込んでしまう。貴女の心を私が得られるなど、酷く傲慢な考えだ。それでも、今日も今日とて嘯く私の唇。首の皮はいつまでも繋げておきたい。
服毒したかのように頭が痺れてどこか熱くなる、いっそ死んでしまいたい。貴女に殺されてしまいたい。あの瞬間を思い出す度に死の感覚を味わうというに。
それでも私は嬉しかった。貴女が微笑みかけてくれることが、声音を聞かせてくれることが。それだけを求めて、帰路に着く。それだけで、嬉しい。嬉しいと嘯いた。
過去の空想を、未来の空想を。幾重にも作って、それでもあの瞬間の思い出に此の心を塞いで。いっそ貴女を殺してしまいたい、奪いたい。
どうして生まれたことでしょうか、猟奇なるそれが。嗚呼、それはただ貴女の薬指で光る輪の所為でありました……。
乱歩/お楽しみと洒落込みますか。/ツイッターのタグにてフォロワーさんのイラストにSSとして付けさせていただきました
音がただしゅるりと響いた、互いの合間に。静やかなその空間には衣擦れの音が心臓を大きく跳ね上がらせるほどに響くものだ、まるで追い詰められた獲物のようなそれ。いいや、それは例えではない。乱歩のその眼差しの色の先、見つめられている人物は確かに彼にとっての獲物だ。獲って喰われる対象だ。
平時のそれのようであってしかし、乱歩の瞳は獣めいたぎらつきを携えている。目元に浮いた仄かな朱、それと共に相手を逃さんとした欲のそれに染まっている。普段より弧を描いている唇にかかっている彼の癖付いた毛先。つぃと引き上げられたそのさまは、真の意味を以って。やはり、乱歩にとって目前で震える人物は捕食の対象である。その震えが恐怖の怯えであってもなくても、彼にとっては悦ばしい。
寛げた襟元、喉仏を視線に辿り行き着く鎖骨。タイのそれにしなやかな指先かけたままで、乱歩が紡いだ音がただに相手の鼓膜を震わせた。
「 」
果てさて、果てさて、音がどのような響きを以って相手を震わせたかなど知ることもできず。所謂それは二人だけの空間、此方はただの不粋な邪魔者でしかない。
浅縹色に滲んで消えていくように、後のことはただその二人だけが知るだけ。楽しむだけだ。
乱歩/時間よ止まれ、止まれば戻れ/声、という曲を聴いて
私には、憧れの人であったのです。
今生のこの身は人のそれでない。けれどもこの血と肉は恋情のそれで焦がれ燻り、どうにかなってしまいそうで。いいえ、幾時かはどうにかなっていましたでしょう。
私の、大切な貴女。
貴女が私の手を取ってくれたことがどんなに嬉しかったことか。心を寄せることが許されることが、貴女のそれにさえ触れることが許されることが、どんなに。
少しばかり、貴女は恐かったのでしょうね。
思いを寄せあっても同じ人でないとあれば、来るそれに耐え切れないと。貴女は私より先に逝ってしまう、其方で待っていてくださいなんてどうして言えましょうか。
嗚呼、あの日の思い出なんて何処にも見当たりやしません。
この苦しみを拭い去るに適うものなど。貴女が逝ってしまう、そればかりがこの心を苛んでどうしようもない。
冷たい手、貴女の。ほんの僅かな体温。
私の手を温めてくれた貴女のそれが、今はこんなにも冷たいだなんて。些細な私の温もりを、貴女に。
私の手も冷たくて。
貴女を失うことにこの心は静かに死んでいく。
消えては、いけません。私は此処に、在るのですから。
願うことは、唯のひとつだけ。嗚呼。
乱歩/その感情に口付ける
「アナタの手は小さいですね」
乱歩は彼女の手に眼差し、不意に気付いたとばかりの言葉を紡いだ。司書といえば小さいとされたその手に万根筆を構え書類に文字を躍らせているぐらいだ、暇ではない。彼女が特務司書として就いているこの図書館、その職務、彼女だけのもの。書類の山とされる程に目を通すを待ち望むもの達、つまりはやはり彼女は暇ではなかった。けれども、彼女がそうであってもほとんどお構い無しである、その乱歩という男は。興味が向けばそれを無かったことにするなどとてもとても。だから、そう、彼女の手から万年筆は取り上げられただに卓上をころりと転がるのだ。
「ふむ、……やはり小さい」
何と掴むものない彼女の手、直ぐに乱歩のそれに囚われる。興味深いと彼は彼女の手の平と自身のものを重ねあう。勿論、彼の手の方が大きいのでその孔雀青の眼差しは彼女の手に向かう前に彼自身の肌に遮られる。それが、興味深いらしい。何とも不思議なことだ。
「言うほど、小さくないですよ。これでも女性にしては大きい方かと」
「いいえ、小さい。少なくとも妻であった彼女より小さいものです」
その言葉。彼の肌に彼女の指先がぴくりと小跳ねするその感覚が伝わった。それで乱歩の唇は仄か淡々と言葉を紡いでいたそれよりも、意味を以て綺麗な弧を描くのだ。
「おやおや、妬いていらっしゃる」
「妬いていません。……ただ、あなたの不粋さにほとほと呆れているだけです」
とは言うものの、彼女の心には勿論悋気の念が渦巻いていることだ。それを知って乱歩は再びと彼女の手の小ささを唇に。小さい、小さいと言いながら指先を絡め取る。その心も一緒くた。
乱歩の指の腹がさわりと彼女の肌を撫ぜる。彼女の身じろぎそれに万年筆が転がり床へと落つる。些細なこと、彼も彼女も万年筆などに眼差しをくれてやることなど。気を向けるは互いだけ。乱歩の眼差しの先には彼女だけ。
妬かせるに言葉紡いだ唇で、引き結ばれた恋人の唇に触れるだけ。
乱歩/眠れぬ夜に
「乱歩さん、乱歩さん、お薬をくださいな。舟の上水面ゆらゆらりとたゆたえるような。そのままとぷんと落ちてしまうような。とろりとろりと光を上へ、湖の底へと向かえるような」
司書の唇は詩歌を詠むように声音紡ぎ、それを乱歩へと聞かせた。彼の眼、孔雀青の色は彼女の眼の色と混じるよう。視線に会話、瞬きは返事のそれだ。返しのそれが応じのそれとは限らない、彼女は仄か不満そうに唇を突き出し乱歩へと知らせた。けれどもだからと眠り誘う薬が与えられるとは限らない。代わりというように、一度二度、今は何覆うものない乱歩の指の腹が彼女の手の甲をすべりすべりと撫ぜるのだ。彼の静かな笑み声を共にして。
「おやおや、大変つまらなそうな顔をしておいでですね」
「……つまらないから、つまらない顔をしています」
「なるほどでは、どうしたものでしょうか」
「乱歩さん、お薬を」
「それではワタクシがつまらない。エンターテイナーとして、自身アナタを楽しませねば。恋人として、自身アナタを楽しませねば」
すべりすべりとした撫ぜり、気付けば指先同士は絡み合い。
「シーツの波間とは、好く言ったものです」
そのままとぷんと落ちるのだ、二人。
乱歩/恋う人に会いに行く/『今日はとても寒いです。だから恋人に会いにいきました。いつもの道に花が咲いていました。』というネタ
冬の空は高い、孔雀青の眼でそれを仰いだ乱歩の唇には彼の白い吐息がかかった。ぎしりと軋みの音を響かせた窓枠を下ろし錠を手早くかける、マントに手袋、ハットにモノクルと装いを整える。
彼の心は躍っていた、外にちらちらとした白雪が窺えようと。室内さえ身震いしてしまうものでも。
「賢治君、南吉君、行って参ります!」
「乱歩さんっ、あの」
「っ南吉」
「恋う人のもとへと向かうだけですよ、こうも寒いと抱擁のそれも一段と喜ばしいものですからねっ」
感情を隠しきれていない声色、靴音もまた寒空へと響くようだ。
館外へと躍り出て、道順など忘れようもないと早足に乱歩は向かう。何度、何度と歩んだのだから目を瞑ったものとしても辿り着けると彼は笑う。その歩みがぴたりと止んだ、雪の粒が乱歩の装いに滲みていく。少し小首を傾げて乱歩は再びと歩みだす、恋う人のもとへと。その場所へと。
迷うことなどない、迷うことなど。
「……おや、花が」
何度と歩んできたその通りに花が咲くことなど珍しくもない、けれどもその白いばかりの花は乱歩の眼差しを捕らえてやまない。
それは乱歩の方へと青い茎を伸ばしている、揺れるのは真白でふっくらした百合の花。
ぞくりと震えた乱歩の頬に触れた白雪は、溶けて露成りぽたりと落つる。百合は、ふらふらと動いた。
「百合の花、真白な百合の花。そんな、アナタは……!」
暁の星が瞬くその下、乱歩は何度と歩んだその道の先を思い出した。幾度も繰り返して、彼は迷ってしまっただけだ。彼女が亡くなって、百年など疾うにきていたのだなと知ってしまっただけだ。
乱歩/印を刻む
司書はその大きな目をじっと見開くようにして魅入っている、仄かに涙が浮いたその潤み目はまるで波紋広がる水面のようだ。その湖面に浮かぶのは乱歩の姿、よりと近く言うならそれは乱歩の孔雀青とした眼差しその眼球。僅かに収縮する瞳孔、それに構わずに浮かび上がる仄かな灯火めいたそれは印を結ぶ。それは、それは、蔵書印とも言うべきか。司書と乱歩が紡いだ絆、心の通じによって彼の身へと刻まれた尊いそれだ。儚いそれだ。
複雑めいて、それでいて司書にはその刻みがすんなりと理解できる。意識できる。映し鏡のように自身の網膜へと結びを浮かび上がらせながら少しの隙間を空けた上唇と下唇。音は思わずと零されたようなそれで。
「乱歩さんの眼、綺麗ね」
彼女の声音に一度の緩い瞬き、乱歩の睫毛がふるると震える。彼の唇とて隙間を作り、音は紡がれ彼女へと聞かせる。それは小さく、低く。けれども確かに彼女の鼓膜を仄かに震わせるもの。
「ワタクシのそれが? まさか、アナタのそれが一等にワタクシを惹き付けるというに……」
乱歩の唇から零された吐息、静寂を共に部屋へと溶けていくようだ。一度ぎゅっと閉じられた彼の瞳、その後に窺えた眼に結びのそれは映っていない。彼が彼女のものであるというその印、所有痕。彼の意のままに浮かび上がりそして消えていく。眼差しに窺えずとも、自身は貴女のものであると彼の唇の笑みは伝えている。
「ええ、アナタの眼差しは得も言えぬほどにワタクシを惹き付ける、惑わせる」
そうと言う乱歩の眼には司書の姿が泳いでいる、彼とて彼女と同じ。燻り始めた情欲の熱のそれに生まれた水面、そこにただ彼女の姿を泳がせている。眼に眼、ただお互いばかりを見るばかりで。
「あまり、煽るものではないですよ。ええ、そうだ。煽るものではない。何れも待ち構えているものです、その切ないばかりの臓腑を抑え付けて」
乱歩の手袋越しの右手はそっと司書の頬へ、遠きに聞こえるただに古いばかりの振り子時計の刻み音。その合間に此方へ向かう足音が無ければ、それさえなければ。それが口惜しい、そうして焦らしがほんの少し好ましい。
「男は、いつ何時と喰らってやりたいと思っているものです。勿論、ワタクシとて」
ちろりと覗く紅い舌、司書の眼に浮かぶ。
嗚呼、それはただただ彼にてべろりぃと。甘い焦がれ、飴玉のようだと。これは、そう、味見だ。味見。何れ髪の先から爪先まで喰らってやるそれの前菜にも満たない、前以ての戯れであると。
ぼぉん、ぼぉん。振り子時計のそれだけが素知らぬ顔をしている。堕ちていく二人のことなど、興味は無いと。