「息が苦しゅう御座います」
自身の意思を伴って零れた気配を感じさせなかった言の葉というものが、曇天の空から落つる雨粒に追い縋るかのように珠粒と成りて地へとぶつかりに向かったようでした。
雨粒はぱつんぱつんと傘にぶつかり跳ね返っておりますので、装いに染み込むようなのは先の自身の呟きで御座います。そうしてそれが滲む前に拭ってしまうとした私の指先を掴んだのは釈迦さまの、貴方さまの指先で御座いました。
その片手の傘の柄を握り込むような徐さでそうとされますと、鼻先を雨粒にぶたれたかのような衝撃も後からやって参りますようで、ずいぶんと遅れてから私の指先は跳ねたものでした。もちろん、私の指先というのは釈迦さまの手中で御座いますので、鈍く反発、皮膚の感触と申しましょうか、そのようなものが私に与えられることです。即ち、私の心の臓も管を流れる血潮というのも忙しないさまを知らせるということです。私へも、そうして延長線上に在ります釈迦さまへも。
どうなさいましたか、と御尋ねしようとした私の唇は役割を放棄したようで御座いました。或いは、肺に満ちる水気を含んだ空気がどうにもやはり此の身を苦しくさせますので、此の口は人のものではないようなのです、今ですら。
さて、私は思わず漏らした言の葉以降になんにひとつの音も忘れてしまったかのようですけれど、釈迦さまというと依然雨宿りしております時折よりお変わりなく、私の指先を手中に収めました時折よりお変わりなく。
なんとはなしに、本当に他意なく手を引いてみまして、私の指先はまぁ釈迦さまの手中より帰ってくることはありませんでしたので、少しだけ揺らいだ私の肩先がぱたりと雨粒にぶたれたようでありました。それが、くらりとした私の心への叱咤に成ってくれましたらよかったのに。
私の口は役立たず、けれどもどうにも、目は口ほどに物を言うというやつで御座いましょうか、雨の粒が地表にぶつかるように会いました私の眼差しと釈迦さまの眼差し、その後に響くはそう、釈迦さまのお声で御座います。
「や、あたためてもらおっかなって」
釈迦さまの手中で身じろぐ私の指先というのは当たり前に冷え切っておりました、ゆえ、分かり切ったことでありますのにそのようにも仰る貴方さまに、やはり、息が苦しくもありました。けれどもそう、幾分、苦しさは何処かへ行ってしまったようでもあります。
「釈迦さまはほんに、お優しい方で御座いますね……」
「そう? ただ、雨粒に妬いてるだけだけどね。だからもうちょっとこっち来なよ、ほらまた濡れてるからさ」
降り頻る雨というのは幾度目かの死を思い出しますので苦しゅう御座いますけれど、少しだけ、雨の落つる日というのを好きになるような、ぬくもりが其処に在るようでございました。じんわりとぬるい熱がうまれます、指先、手中、心の臓にて。