瑞々しさを纏った葉のにおいや燻らせた紫煙にも似たかおりが複雑に絡み合いながらも和を保っている空間に革靴の音が僅かに響いた。笑みのひとつも浮かんでいないその頬とは反対に、チェシャ猫も顔負けの胡散臭い笑みを浮かべながらさてひとつ。
「いらっしゃいませー、北から南、東から西までお茶のことならお任せを! ご来店誠にありがとうございますポセイドン様」
 ポセイドンと呼ばれた男は視線のひとつを向けることもなく、また歩みを緩めることもなくその儘に言う。
「店主に伝えろ、『極楽浄土』とやらの逸品を引き取りに来たと」

 当たり前のように店の奥へと歩みを進めたポセイドンはとある扉の前に立つ。その扉にはドアノブが存在していない、なんてことがあるはずもなかったが開閉の為の動作の欠片も見せないそれではまさかそのドアノブは飾りでしかないのではないかという憶測さえ出てきそうなものだ。
 数秒が経った、僅かにポセイドンの片眉がぴくりともなっただろうか。それでその扉は独りでに開いた、蹴破られては困るとも言うように。
「困りますよ若さま! 納期は一週間後ってなってるじゃないですかぁ。……アルよー」
 独りでにとは言ったものの、扉を開けたのはポセイドンに見下ろされるようにもそこにいる者で他ならなかった。取って付けたように言葉尻に奇妙な口調を追わせ、胡散臭い笑みを浮かべているその人物に。
 飼い犬は飼い主に似ると言うが、ともポセイドンの胸中に浮いたのかは定かではないが、その胡散臭い笑みを浮かべている人物こそ此の店の長、つまり店主であった。
 どうぞお入り下さいとも招かれたわけではなかったがポセイドンはオーナールームの中央へと歩みを進める。四方の壁は殆ど全て引き出し式の棚、英国から東洋、果たして地図上にそのような国はあるだろうか怪しい地域や冗談なのかヴァルハラとまで書かれたものまである。場所の明記の他に書かれているものは果たして名称なのか、“煌びやか”やら“わっくわく”やら。兎も角、個々については不明であるにしてもその四方の棚に何が収められているのは明確であった、何せ、此処は茶屋である。とある方々お抱えの。
 茶屋であることを後押しするようにも部屋の中央にあるテーブル、その卓上には茶葉の収められた小筒の幾種類かが蓋が開いた状態で広げられていた。それは今まさにもブレンドしていますよといった風だ。
 さて、そのどれをも抜けて卓上のそれらをポセイドンの手は取った。
 バレル、スライド、マガジン、エトセトラ。
 どんなパズルよりも容易くて仕方ないというようにも秒数掛からず無言で組み立てられたそれの妖艶な笑みにも似た鈍い光が、ポセイドンの掛けた眼鏡のレンズ面に反射しているようだ。
 そうして──、
「悪く無い」
 一言と共に店主の眉間に突きつけた、その銃口を。
 もちろんトリガーに指は掛かっている。店主と言うとわなわなと唇を震わせて、その肩先も震わせた。それから、弾けるようにもして声を荒らげる。
「あったり前過ぎるんだなぁっ! 極上の逸品しか取り扱ってない! に決まってるアル」
 自慢の我が子を褒められたようにも目をきらめかせ声音を響かせ、それでも取って付けた口調を忘れなかった店主は続ける。
「繊細なグリップの触りに反して銃口の鋭さを纏ったエキセントリックさ! 撃鉄の囀りなんて悲劇の女王も真っ青の音律を聴かせてくれるんだなァ!」
 銃口が引っ付いていたなんてお構いなしに卓上に向き直り、小筒をコレにコレと引き寄せるその姿にオーナーらしい威厳なんてひとっつも無いものであった。
「そんなお嬢さんに似合うのは此方! 伝統を重んじる英国製×××に南亜熱帯その奥地より取り寄せた××××!まさにッ上流階級に嫁いできたエキゾチックガールさ! 怠惰極めりお貴族さまの横っ面に回し蹴りを打ち込むそのシーンが目に浮かぶようじゃァないか! なんて痛快なんだろうかそれはまさしく、」
「五月蝿い、雑魚が」
「黙るアルよー」
 既に銃は卓上へと返されてはいたがお口チャックとでも言うようなジェスチャーをポセイドンへと見せ、けれども目は口ほどに物言うものでもう一度喧しいと彼は言った。
 と、なんとも腑抜けた音が二人の間に鳴り響いた。おやおやとした表情と共に卓上ランプのスイッチを押した店主が、その豆電球の部分に口やら耳やらを近づける。
『オーナー、お客様がアルコールをご希望です』
「はぁん」
『本数は──、既に酔われているお客さまも──』
「承知ー」
 次いで豆電球を右に二回、左に三回。
「あー、あー、全従業員の皆々様方にご連絡アルー。お酒のコール入りましたぁ、どギツイの飲ませてやれくださいー」
 と、まぁ、店内放送を終えて万年筆を棚のひとつに向けた。現れた電子モニターに映るのはそう、マフィアかギャングか兎も角、良客とは間違えても言えそうにない輩が大量だ。
 店主は、ハァとも息を零した。
 まるで杖のようにもテーブルに立てかけていた魔改造ウィンチェスター銃を蹴り上げるようにもして手に取り構える。
「ひっさしぶりのハンティングだーッ! やるぜやるぜアルー!」
「おい」
「ハッ?! 商談の途中だった……」
 すっかり忘れていたと肩を落として、ストックで床をこつんと打ったそのさまはまさしく、しょんぼりといったところだろうか。
 その様子に辛気臭くて堪らんとも言うように溜息にも似た吐息を微かに零してからポセイドンは言った。
「……構わん、さっさと行け」
「若さまのご慈愛感謝感謝! アルー!」
「茶の一杯も出さずにとはな」
「とっておきの一杯を用意するんで、暫しお待ちをポセイドンさま!……アルよー」
 二つのボタンを連打、迷路と化した店内、クレーマーもとい襲撃者への近道に開閉した落とし穴めいた床下へと飛び込み姿を消した店主に、ポセイドンはひとつ瞬きをした。ゆったりとした動作で向けられた眼差しの先、スクリーンの中では早速とヘッドショットをかまし愉快と笑むその姿がある。
 ぎしりと音は、店主が座っていただろうチェアにポセイドンが腰掛けたからだ、組んだ脚、頬に拳を突く。鼻先を、ブレンドされた茶葉の香りが撫ぜる。
 茶の一杯程度で許してやろうというそのご贔屓に、店主が気づいているのかいないのかは定かでない。